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とくしま歴史文化総合学習館(徳島県立埋蔵文化財総合センター)

レキシルとくしま

南海地震徳島県地震津波碑

南海地震徳島県地震津波碑について

 徳島県では、県南部の海部郡を中心として、過去に起きた南海地震とその津波によって大きな被害を受けてきました。私たちの先祖は、そうした状況を子孫に伝えて教訓とするよう各地に石碑を建てています。徳島県教育委員会では、2016年度の調査で39基を確認しました。そのうちの5基は既に町指定有形文化財に指定されており、それ以外で条件が整った19基が2017年10月に全国で初めて、国の登録記念物として「南海地震徳島県地震津波碑」という名称で登録されました。これらは、地域における文化遺産として、あるいは防災教育の教材として後世に伝え活用を図っていくべきものとして評価されています。

 地震津波碑が最も多く分布しているのは海部郡で、県内39基のうち27基が建てられています。なかでも海陽町には16基が集中しています。また南海地震の年代ごとに見ると、1854年の安政南海地震について書かれたものが19基と最も多く、1946年の昭和南海地震が14基でつづきます。1707年の宝永南海地震以前のものは、少ないことがわかります。
 

南海地震徳島県地震津波碑一覧

中喜来春日神社敬渝碑(松茂町指定有形文化財)
格調高い漢詩によって、安政南海地震(1854)の様子が詠まれている。
沖洲蛭子神社百度石(国登録記念物)
大地震のあとは、火の元に注意!安政南海地震(1854)の教訓。
赤石豊浦神社石碑(国登録記念物)
立江川排水改良 事業之碑
立江八幡神社 農地災害復旧碑
金磯帽巌跡碑
那賀妙法寺庚申塔(国登録記念物)
鵠和光神社石碑
大原地神上棟式記念碑(国登録記念物)
昭和南海地震(1946)の大津波で海岸一帯が泥海になり、大原平野の田畑が砂礫で覆われてしまったという。
福井住吉神社海嘯潮痕標石(国登録記念物)
昭和南海地震(1946)の津波は、第1波より第2波の方が高かった。
椿公民館石碑
椿八幡神社常夜燈(国登録記念物)
安政南海地震(1854)の津波で、流れた家9軒、浸水した家18軒だったが、氏子は無事だった。
志和岐震災碑(国登録記念物)
安政南海地震(1854)では、住民は皆無事だった。幾年後に大地震があった時には必ず津波が来る。その時には油断しないよう子孫に知らせたい。
康暦の碑(美波町指定有形文化財)
江戸時代に書かれた地誌『阿波志』によると、康暦2年(1380)の地震津波の被災者をここに埋葬したとある。
東由岐浦修堤碑(国登録記念物)
安政南海地震(1854)の津波で堤防が決壊し、蜂須賀公が改修を命じた。
貞治の碑(美波町指定有形文化財)
岩の中央に「貞治六(1367)年6月24日」と刻まれたもの。
木岐王子神社石灯籠
安政南海地震(1854)でおきた最大約12メートルの津波により、神社が流失し再建した。
牟岐旧旭町南海地震記念碑(国登録記念物)
牟岐大震潮記念碑(国登録記念物)
出羽島観栄寺石碑(国登録記念物)
熟田峠地蔵尊(国登録記念物)
安政南海地震(1854)で約9メートルの大津波が襲来し、海辺の人家が流失して、野原になった。
浅川南海大地震記念碑(国登録記念物)
昭和南海地震(1946)の津波は、第一波が高さ2.7メートル、第二波が3.6メートル、第三波が3.3メートル。死者85人。
浅川天神社石碑(国登録記念物)
安政南海地震(1854)で高さ九メートルの津波があり、その早い事は矢を射るようであった。後世の心得のため、これを建てる。
浅川観音庵昭和地震 津波襲来地点石標(国登録記念物)
昭和南海地震(1946)の津波の高さを示す石碑 。
浅川観音庵安政地震 津波襲来地点石標(国登録記念物)
安政南海地震(1854)の津波の高さを示す石碑。
浅川観音庵地蔵尊台石(国登録記念物)
宝永地震(1707)の様子が書かれた数少ない石造物。
浅川南海津波死没者 供養塔
震災後50年南海道 地震津波史碑
津波十訓
浅川御﨑神社石碑(国登録記念物)
安政南海地震(1854)の前後の様子が詳細に記述される。
鞆浦海嘯記碑(海陽町指定有形文化財)
海部郡代の高木真蔵による安政南海地震(1854)の記録。碑文を書いた経緯が記されている。
大岩慶長・宝永地震津波碑(海陽町指定有形文化財)
高さ3メートルの大岩に、慶長地震(1605)と宝永地震(1707)の2つの津波の様子が彫り込まれている。
南海地震徳島県地震津波碑
表
表
昭和
安政
宝永
慶長

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