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とくしま歴史文化総合学習館(徳島県立埋蔵文化財総合センター)

レキシルとくしま

木岐王子神社石灯籠

ききおうじじんじゃいしとうろう

所在地

海部郡美波町木岐字白浜

キーワード

安政南海地震の記録

津波の高さ約12m

概要

建立年月日:1854(嘉永7)年(灯籠の建立年代)
対象地震名:安政南海地震
未指定・未登録
石材:砂岩(火袋部のみ花崗岩)
全高:202センチメートル。
灯籠の高さ:182センチメートル,幅:123センチメートル,奥行き:117センチメートル。
台石の高さ:20センチメートル,幅:113センチメートル,奥行き:119センチメートル。
(碑の立地と形状)
美波町由岐から日和佐へ続く最も海沿いの県道25号線を南へ進むと,木岐漁港の南側に砂浜(白浜)が見える。県道25号線は白浜を過ぎると山道に入るのだが,その山道の手前を海岸方向へ入り堤防道路を進むと,林の中に王子神社がひっそりと鎮座する。目的の石灯籠は王子神社と海岸の間の保安林の中にあり,海岸沿いの小道に面している。道を挟んですぐに海岸があり,標高2mである。この石灯籠は1854(嘉永7)年に建立されたものであるが,側面の銘文によると,神社は同年11月に被災し翌年再建(遷宮)されたと見える。側面の銘文は追刻と考えるべきであろう。1927(昭和2)年の『海部郡誌』に紹介されている。また,昭和36年9月の第2室戸台風によって倒壊し,昭和46年に再建された記録も残っている。火袋部が木枠で補強されている。「嘉永七歳奉一燈寅中秋」と書かれた面を正面とする。灯籠の全高は202センチメートルである。高さ20センチメートル,幅113センチメートル,奥行き119センチメートルの砂岩の台石に,高さ182センチメートル,最大幅123センチメートル,最大奥行き117センチメートルの砂岩製の灯籠が建っている。火袋部のみ花崗岩が使用されている。
(碑文の内容)
安政地震の津波に関する記述が,竿石の左側面に刻まれている。最大約12mの津波が半時の間に3度来たこと,王子神社も流されて再建したことなどが刻まれている。また,「大地震の節,油断これ無きこと,荒方記し置く」とあり,地震の際には油断のないようにと訓示している。
(参考文献)
三岐田町役場編『三岐田町史』1925(大正14)P.233
海部郡誌刊行会編『海部郡誌』1927(昭和2)P.94
笠井藍水『三岐田町郷土讀本』1950(昭和25)PP.24-25
徳島県経済部林務課『阿波海嘯誌略全』1936(昭和11)P.7
長江正一『阿波に於ける地震の研究』1936(昭和11)P.3
羽鳥徳太郎『高知・徳島における慶長・宝永・安政南海道津波の記念碑1946年南海道津波との比較』東京大学地震研究所1978(昭和53)P.441
由岐町史編纂委員会編『由岐町史』(昭和60)PP.705-706
猪井達雄,澤田健吉,村上仁士『徳島の地震津波-歴史資料から-』徳島市民双書16徳島市立図書館1982(昭和57)PP.68-69
由岐町史編纂委員会編『由岐町史図説・通史編』1994(平成6)P.136
木村昌三,小松勝記,岡村庄造『歴史探訪南海地震の碑を訪ねて』毎日新聞高知支局2002(平成14)P.81
中川健次『南海道地震津波阪神・淡路大震災被災地からのメッセージ記念碑・モニュメントから』教育出版センター2002(平成14)PP.28-29
『企画展描かれた地震解説書』徳島県立博物館2011(平成23)P.43

石碑
全景
 
石碑
碑文(左側面)

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石碑

碑文(現代語訳)

嘉 永 七 歳
奉一燈
寅 中 秋
嘉永七(一八五四)年十一月五日は晴天で、午後四時頃に大地震があり、一時間のうちに津波が三度来て、家が流失した。(波が)およそ十二メートルあまり上がり、当宮が流失したため、翌年八月に遷宮した。大地震の節は油断しないよう、あらかたを記しておく。
白濱氏子中

拓本

参考文献

徳島県教育委員会編2017『南海地震徳島県地震津波碑調査布告書』徳島県埋蔵文化財調査報告書第3集

問い合わせ先

徳島県教育委員会教育文化課

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