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とくしま歴史文化総合学習館(徳島県立埋蔵文化財総合センター)

レキシルとくしま

福井住吉神社海嘯潮痕標石

ふくいすみよしじんじゃかいしょうちょうこんひょうせき

所在地

阿南市福井町浜田

キーワード

昭和南海地震の記録

国登録記念物(2017年10月13日登録)

概要

建立年月日:1948(昭和23)年3月吉日
対象地震名:昭和南海地震
国登録記念物(2017年10月13日登録
石材:砂岩
本体の高さ:135センチメートル,幅:61.5センチメートル,厚さ:21センチメートル。
台石の高さ:28センチメートル,幅:104センチメートル,奥行き:74センチメートル。
(碑の立地と形状)
国道55線から椿泊方面に向かう県道26号線を進むと,県道287号線との三叉路にさしかかる。この287号線に入り後戸へ向かう山道を抜けると,前方に平野が開け海が見えてくる。直進して港に突き当たると,正面に立派な堤防あり,この地区を守っていることがわかる。この堤防に沿って北へ折れると左側に住吉神社が見えてくる。鳥居とその両脇の常夜燈,そしてその奥に階段が見える。階段の入口右側に砂岩製の碑が建っている。碑本体の高さ135センチメートル,幅61.5センチメートル,厚さ21センチメートルの碑で,高さ28センチメートル,幅104センチメートル,奥行き74センチメートルの砂岩の台の上に立っている。さらに下には,砂岩の礫を積んでコンクリートで固定している。砂岩を打ち欠いて成形したため角張っており,上部が薄く仕上げられている。正面に碑文が,向かって左側面には世話人名が刻まれている。
(碑文の内容)
昭和南海地震について,当該地域の被害状況を詳細に記録している。津波の第一波が神社の石段の6段目まで,第二波が10段目まで到来したこと。周辺一帯が泥海になり約1時間後に潮が引いたことなどが記されている。『福井村誌』(原田1956)により,昭和23年に建立されたことが判明している。
また,この地域で昭和南海地震の語り部として活動されている方によると,昭和50年に神社の階段が改修され,現在の階段は碑に書かれた津波の高さに対応しないという。そのかわりに,堤防にペンキで印が付けられている。また,安政地震の際には階段の上から2段目まで海水が来たと伝えられているという。

石碑
全景
 
石碑
碑文

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碑文(現代語訳)

海嘯潮痕標石昭和二十一(一九四六)年十二月二十一日の明け方に大地が震動し、やや静まるや大音響と共に海水がみなぎりあふれて襲来した。最初、当住吉神社の石段の第六段目まで浸没した後に、一旦退いたが、間もなく再来し、十段目まで没した。 この大津波で大戸、後戸、赤崎、大原、湊、大西、古津、大宮、山下、宮宅まで泥海となり、約一時間後に退いた。負傷五名、家屋十二棟、船十艘及び家畜を流失した。床上浸水百二十七戸。衣食がほとんど流亡し、はなはだ困憊を極めた。ここに潮痕を標して後日に供う。
求めに応じて、中西長水がこれを記す。

拓本

参考文献

徳島県教育委員会編2017『南海地震徳島県地震津波碑調査布告書』徳島県埋蔵文化財調査報告書第3集

問い合わせ先

徳島県教育委員会教育文化課

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