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とくしま歴史文化総合学習館(徳島県立埋蔵文化財総合センター)

レキシルとくしま

貞治の碑

じょうじのひ

所在地

海部郡美波町西の地字東地

キーワード

正平南海地震

安政南海地震の伝承

町指定有形文化財(考古資料)1957年5月8日指定

概要

建立年月日:1367(貞治6)年6月24日
対象地震名:正平南海地震か
町指定有形文化財(考古資料)1957年5月8日指定
石材:砂岩
高さ:64センチメートル,幅:118センチメートル,奥行き:62.5センチメートル
(碑の立地と形状)
地域高規格道路阿南安芸自動車道のうち,阿南市福井町から美波町日和佐間は日和佐道路と呼称される。この日和佐道路の由岐インターチェンジを降りて由岐駅へ向かう。駅前を通過し信号のある交差点を東へ折れると,コンクリートでつくられた庵が目に入る。庵の前には「子安地蔵」の扁額が掛かっている。中には高さ64センチメートル,幅118センチメートル,奥行き62.5センチメートルの砂岩が安置されている。建物は石が入る最小限の大きさに作られており,中をのぞき込める範囲でのみ観察が可能である。現在観察できる面を正面とすると,右下に延命地蔵尊像が舟形の中に浮き彫りされているが,顔の部分は削りとられている。地蔵尊の左肩から右足にかけて,欠損している。残存している舟形は,高さ25センチメートル,幅10センチメートルである。岩の正面中央に年号が刻まれているが,文字列は向かって左側に10度程度傾いている。これは,本体の左下に小石を挟んでバランスをとっているためで,見かけ上傾いているように見えるにすぎない。文字列と地蔵尊像の角度は同じである。
(碑文の内容と伝承)
碑文として確認できるのは,「貞治六年丁未六月廿四日」のみである。貞治6年は北朝年号で1367年である。庵の中に安置されてきたためか,文字は明確に確認できる。
笠井藍水によると,昭和23年6月に「貞治六年」の年号を初めて確認したという(笠井1950)。既にコンクリート製の庵ができており,由来について世話人の染崎氏に話を聞いたところ,「安政地震の際,西由岐の堤防に築き込んであつたが光って仕様がないので信仰者が現地の少し上方へ持つて来て祀つた」という。現地にはもともと地蔵庵があって旧正月24日には市が立ち,相撲もあって大変賑やかであったが,大正時代に新道工事の際に現在の位置に移動してきたとのことである。笠井は「此碑は何にしたのか一寸分からんので却つて研究上興味がある」として,「寺院の礎石」か「康安地震後6年目のものであるから震災者供養関係のものかもしれぬ」と推測した。この後,この碑に関しての記述はこれを引用したものと考えられる。
(参考文献)
笠井藍水『三岐田町郷土讀本』1950(昭和25)PP.6-7・P.60
由岐町史編纂委員会編『由岐町史』1985(昭和60)P.500
由岐町史編纂委員会編『由岐町史図説・通史編』1994(平成6)P.57
木村昌三,小松勝記,岡村庄造『歴史探訪南海地震の碑を訪ねて』毎日新聞高知支局2002(平成14)P.77
由岐町教育委員会『由岐町郷土事典』2004(平成16)PP.36-37
美波町教育委員会『美波町歴史散歩』2014(平成26)P.91

石碑
子安地蔵
石碑
碑文(中央)

3D

碑文(現代語訳)

碑文(現代語訳)を入力

拓本

参考文献

徳島県教育委員会編2017『南海地震徳島県地震津波碑調査布告書』徳島県埋蔵文化財調査報告書第3集

問い合わせ先

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