Shopping for a Better World「買い物で社会、世界を変える」は、エシカル消費を実施している世界共通の合言葉になっています。日本の三方よしも、売り手よし、買い手よし、そして「世間よし」と社会をより良い方向にと謳っています。エシカルへの取り組みはより良い世界への社会変革ということです。
今日、GAFAを始めとする世界の大企業の能力に限界はないように見えます。企業は絶滅の恐れがあるミツバチを救うだけでなく、人種差別を終わらせ、ビーガン革命をもたらすかもしれません。少なくとも、私たちにそう信じさせようとしているように思えます。
私たちは、社会的または環境的大義にコミットしていると公に主張しながら、実際にはまさに同じ大義に害を及ぼす活動を行っている企業の例を既存のメディアやSNSを通じて数多く見聞きしています。企業の社会的責任(CSR)報告書に書かれていることをすべて信じれば、世界で最も裕福で強力な企業が世界の主要な問題に取り組んでいるという認識の中で、私たちはぐっすりと眠ることができます。企業が消費財を生産するだけだった時代はとうの昔に終わり、今や私たちはより思いやりのある世界を売り込まれています。私たちは、平等を解き放ち、クリックして社会正義を確立することが期待されています。
悲しいことに、企業が社会的および環境的原因への取り組みについて述べていることは、必ずしも実際の活動を正確に反映しているとは限らないかもしれないという情報は容易に手に入れることができる時代になっています。グリーン・ウォッシュ、エシカル・ウォッシュそして果てはSDGsウォッシュといった具合に「ウォッシュ(洗浄)」を被せた類似用語は、そもそも「ホワイト・ウォッシュ」という原語に由来しています。
ホワイト・ウォッシュとは、何かを覆い隠すために、より快適な別のレイヤーを被せることです。注目すべきは、その下にあるものを取り除くことはできないということです。これは「洗浄」の主張の核心部分であり、企業がもともと行ってきた問題行動が、必ずしも止まっているわけではありません。唯一の違いは、マーケティングやPRチームによって売り込まれた、より良い活動によってそれが少し隠されているということです。
私たちは多くの地球規模の問題に直面していますが、その解決策が持続可能性、正義、公正、不平等、人種差別などいずれに関するものであっても、エシカル消費は、企業・消費者がその解決策に参加し、解決策の一部となることができる方法です。エシカル消費は買い物を通して行う市場における円やドルといったお金による投票行動によって問題を解決するのではなく、選択するための情報を収集し比較考量することによって、様々な情報を無視せずにより良い選択のための解決策の一端を担う方法なのです。
私たちが直面している、あるいはエシカルな消費者が直面している最大の障害は、グリーン・ウォッシュです。正確に言うと、ある種の「事実の歪曲」です。グリーン・ウォッシュは、主に企業や会社が自ら利用しています。なぜなら、実際に持続可能な活動や公正な活動を行うよりもコストがかからないからです。しかし、政府もこれを利用しています(ソーシャル・ウォッシュ)。場合によっては、消費者も、不注意に参加してしまうこともあります。グリーン・ウォッシュというのは、本質的には虚構と現実が混ざり合ったものです。グリーン・ウォッシュ、事実の歪曲こそが今日2030年に向けた私たちが抱える多くの世界的な課題の核心だと考えます。
新型コロナのパンデミック、ウクライナ・ロシア戦争、イスラエル・パレスチナ紛争、そしてトランプの米国によるイラン核施設の攻撃が非常時になった時、それを危機と呼んでいます。社会が、世界がひとたび崩れてしまうと、わたしたちはたちまち立ち往生しています。それまでの社会・日常生活が実に複雑なメカニズムから成立ち、いかに疑問の多いものであるかを思い知らされています。
「危険」は見えません。新型コロナは見えません。エイズも、ダイオキシンも見えません。核攻撃による放射能も見えません。もしも危険が見えてきたら手遅れです。因果関係の完全な証明ができない限り、危険の除去は手遅れとなり、因果関係が完全に明らかにならない限り、世界的な合意形成は不可能なので、予見される結果を防止することはできないかもしれません。
揺れ動く21世紀の特徴は、危険の経験的自明性が無くなって、危険評価の情報依存性が明らかになっていることです。拙稿の結論は、「グリーン・ウォッシュという情報による事実の歪曲に対して課題解決のために私たちは市民として情報のファクト・チェックによる監視を行い、恐れずに声を上げ、立ち上がりましょう」ということです。AIという爆発的な情報産業革命によってエシカルが最も恐れる「1984年」はすぐ目の前に現れているかもしれません、2030年を待たずして。(了)