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阿南工業用水道

阿南工業用水道は、阿南市臨海部の工業用水の需要に応じるため、昭和43年2月から建設工事に着手し、昭和45年4月46,500m3/日の給水施設が完成、同月から給水を開始しています。

給水方法は、那賀川の河床に埋設した集水管により取水した伏流水を、山腹の配水池トンネルへ揚水し、自然流下により各企業へ給水しています。

また、給水量の増加に伴い、3号ポンプを増設し、平成8年度に給水能力93,000m3/日の施設となっています。

なお平成11年4月からは、吉野川北岸工業用水道と同様、総合管理事務所から、設備の常時監視、制御を行っています。

取水塔周辺(現況)の画像
【取水塔周辺(現況)】
送水ポンプ所(現況)の画像
【送水ポンプ所(現況)】

工事計画

阿南工業用水道は、那賀川右岸の阿南市柳島町で、河川内の堤防寄りに設置した取水施設から、河床下に埋設した円形集水管で集水した伏流水を約4km離れた阿南市富岡町の1号配水池(隧道)に送水ポンプで圧送し、連結された2号配水池(隧道)からは自然流下で、橘町幸野地区ほか3地区の受水企業に対し、日量93,000m3を給水する計画でした。

建設工事

昭和38年度からスタートした阿南工業用水道事業は、昭和42年に本格的に工事を開始、昭和43年2月、取水地点の阿南市柳島町に阿南工業用水道建設事務所を開設しました。事務所には所長以下、7人を配置しました。

建設工事はまず取水施設(集水管・導水管・防汐遮水壁・取水塔・連絡橋)の建設から進め、昭和43年8月末に本工事が完成しました。

翌、昭和44年度からは取水地点の柳島町から橘湾幸野地区までの幸野配水支管の建設に着手、昭和45年4月の給水開始に向けて始動しました。

また、阿南工業用水道建設事務所は、阿南合同庁舎内に移し体制を強化し、昭和44年度末のピーク時には所長以下、23人を数えました。

幸野地区への送配水施設工事は、土木・建築・電気の各工事であり、土木工事は管路を11工区に分け、送水管布設工事 は第1工区~第3工区、配水池トンネル工事工区、配水管布設工事は第5工区~第11工区までそれぞれ区分して施工しました。また、建築工事は管理事務所と 職員公舎、電気工事は送水ポンプ設備、運転制御設備、通信設備などを施工しました。

 こうした経過の中で、幸野地区までの送配水管の布設工事が完成、当初予定どおり昭和45年4月から給水を開始しました。

建設工事の中止

辰巳地区、大潟地区への配水支管の布設は、企業立地が確定しないため、一時休止せざるを得ませんでした。昭和52年度には着工の運びとなりましたが、二度にわたる石油危機により、辰巳地区への企業立地が具体化できず、昭和59年に阿南工業用水道の建設工事を再度休止し ました。

建設工事の再開

昭和60年から平成2年にかけてのバブル景気を背景に、大潟・辰巳地区への企業立地が急速に進展したため、昭和61年2月、大潟・新浜工業用地に給水するため、大潟配水支管布設工事に着手し、翌昭和62年11月に完成させました。さらに、平成2年9月には辰巳地区の企業進出が決まったため、辰巳配水支管の布設工事に着手し、平成6年10月に完成、それぞれ一部給水を開始しました。

また以後の給水量増加が予想されたため、平成7年7月に送水ポンプ1台の増設工事に着手して平成8年6月に完成し、当初計画どおり給水能力93,000m3/日の施設となりました。さらに平成6年2月から、当初給水計画にはなかった小勝・後戸地区への小勝配水支管布設工事にも着手し、平成10年3月に完成しました。

建設費用

約38億3千万円