〒770-8570
徳島県徳島市万代町1丁目1番地
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小学生の「税についての作文」は、徳島県下の6法人会が主催し、中学生の「税についての作文」は、全国納税貯蓄組合連合会及び国税庁が主催してそれぞれ募集しています。
令和7年度の徳島県における応募状況は、小学生の「税についての作文」は96校が参加し、1,033点の作品の応募があり、中学生の「税についての作文」は70校が参加し、4,496点の作品応募がありました。たくさんの応募作品の中から特に優秀な作品を掲載します。
明日がもっとよくなるように
「とうとうお米も前のようにたくさん買えなくなってきたんだな。」備ちく米入荷しましたというポスターが貼られたお店に走りこんでいく人を見て、そんなことを思いました。いろんな物の値段が上がって、困っている人達が多くいるように感じます。テレビを見ていると、大人たちが「消費税を下げるべきだ」と言ったり、「下げてはいけない」と言ったりしていて、どちらが正しいのかよく分かりませんでした。税金は、みんなを幸せにするためにあるのか、それとも、かえって苦しめているのか、よく分からなくなっていました。そんな中、学校で「租税教室」が開かれました。そこで、みんなが払った税金で壊れた橋を直したり、消防署や警察署を動かしたりしていることを知りました。みんなのために使われるお金が税金であり、それを集めて、ぼくたちの暮らしを支えてくれているのだと分かりました。
でも、本当に税金は「みんなのため」に使われているのでしょうか?ぼくは、生活が大変な人や、病気やけがで働けない人には、支えが必要だと思います。そういう支えが必要な人たちに正しく使われているのだろうか?と疑問も感じます。大人たちは働いて税金を納め、自立した生活をしています。ぼくたちが勉強するのも、自立して生きる力をつけるためです。そして、税金は、みんなで支え合って生きていくために使われるものです。
将来は、自分の力で生活し、税金を納められる大人になりたいです。そして、税金が正しく使われているのか見守り、不公平なことに気づける人になりたいです。大人になったら、しっかりと考えて選挙を投票することで自分の考えを伝えられるようにしたいと思います。そして、今よりももっと幸せな日本をつくる人になりたいと思います。そのためにも税金についてもっと勉強していきたいです。
税についての正しい理解をめざして
ニュースで政治家が、減税について議論しているのをよく耳にする。ガソリン税をなくすとか、消費税をなくすとか、物価高で苦しんでいる国民のために、いろいろ政策を考えているということだ。僕が関わっているのは消費税ぐらいなので、税抜きの値段と税込みの値段を見て、何か高く感じて損をしたような気持になることもある。確かに税金がなくなったら、人々の生活は楽になるだろう。いろいろな税を支払っていることを両親からも聞いているし、その税が少しでも減ったりなくなったりすれば、いろいろなものが変わるかもしれない。でも、それで困ることもたくさんあるのではないだろうか。税のおかげで守られている生活があると思うからだ。税が増えるとか減るということだけに関心をもつのではなく、税のことについて正しい知識と高い関心をもつことが本当は大切なのだと社会人になっている姉兄たちから教わった。
たとえば五月に支払う車の税金。車を持っていると税金を支払わなければならない。大変だと思う。でも、よく考えてみると車が走るには道路がいる。事故を防ぐには信号や標識が必要。道路を舗装することも必要である。ではそのための費用はどうするのか。税金があることで、きれいな道ができ、安全に車を走らせることができるのだ。大変かもしれないが、車を持つ以上、税金を払うことは大切なことなのだと、姉兄と話をしていて感じた。
先日、祖父母の家の隣家で大火事が起きた。家から上がり始めが煙はいっきに広がり、大きな炎へと変わった。七月初めの最高に暑い朝、そこら中に流れてくる熱風に、兄は恐怖を感じたと言う。そこへ次々と到着してきた消防車。消防士の方や消防団の方による命がけの消火活動が始まった。祖父母の家は、ガソリンスタンドである。日用品を販売する小店と、その裏にはプロパンガスも置いている。隣家と小店の間には、一軒分の空き地があるが、火の勢いが強くて、必死に消さなければ燃えうつってきそうだったらしい。夕方まで続いた消火活動、何とか鎮火した。消防士の方や消防団の方がいなかったらどうなっていただろう。消防車、ポンプ車がなかったら、今ごろ祖父母の家の辺りは大変なことになっていた。鎮火した跡を見ながら、家族で感謝したのと同時に、人の命を守るための消防車や救急車も、税金によって用意されていることを感じ、僕たちの生活は税金によって守られていることを改めて理解した。
僕も、これから先十年も経たないうちに社会人になる、働いたお金の中から、いろいろな税金を納めるようになるだろう。税金を払わなくてはならないと思うと、何か嫌な気持ちが生まれるが、納めた税金が自分や大切な人の生活、そして全ての人の生活を守ることにつながると思うと、自分も役に立っていると思えるにちがいない。これからも税金について正しい理解を心がけ生活していきたい。
税のあるあしたを生きる
私はよく、空想している。朝、起床して歯を磨いているとき。昼、お弁当を食べているとき。夕、最寄駅を降りてから、自転車で自宅に向かっているとき。暇さえあれば、空想している。もし、私が鳥になったならば?もし、一日が三十時間になったならば?くだらないことばかりである。しかし、思い出せばあの日はこんな空想をしていた。
もし、税金という仕組みが存在しなかったならば?それがあの日の、パラレルワールドだった。
その世界には、学校は存在しない。どれだけ勉強や運動に意欲があろうとも、寄り添ってくれる先生や友だちとともに目標を乗り越えていくことはできないのだ。むろん、整備された道路もなく、風邪を引いた日には高い治療費を払うことに躊躇して病院へ赴かないかもしれない。自分や大切な人の体調、ましてや命に危険が迫っていようとも、救急車を呼ぶことを決意するのもままならないのだろう。そう、思い浮かんだのは、どこか不安で生きづらい世界だった。
「税金がない世界」。正直、これを空想するまで、税金の使い道やあり方というものに対して、あまり興味はなかった。中学三年生にもなって恥ずかしい限りである。だが、テレビニュースや新聞などのメディアでは、税金は住民へ重くのしかかる負担だ、といった捉え方をせざるを得ない事象に関する報道を見かけることもまれにある。そのため、税金という存在に対して、何かしらの感情を抱く前に、無意識に目を背けている自分がいた。
しかし、今となってはこれも言い訳に過ぎず、税金のない世界を空想してしまった以上、今現在の私たちの生活は、税金無くして存在し得ないものであると断言できよう。税金という存在がなければ、常に危険と隣り合わせの生活を送っていたに違いない。
改めて、税金とは何なのか、考えてみる。
「税金」と、こうも漢字で書けばいかにも堅苦しい言葉であるが、消費税をはじめとし、住民税、所得税、自動車税など、身の回りにはたくさんの税があふれている。そして、その先には税金の証しとして後世に残されてゆく、多くの施設や制度たち。意外にも、税金というものは身近で、良い意味での人生の重みを感じさせる存在であると、私は痛感した。
私は空想している。暇さえあれば、いつだって空想している。しかし、今私が生きているのは紛れもない現実であり、きのうであり、きょうであり、あしたなのだ。この日々にとって税金という一つのパズルのピースが、少しでも私が明るく暮らせる、あなたが笑顔で暮らせる、「しあわせな暮らし」という一つの画を完成させる鍵となるのではないか。
わたしたちが正しく税金と向き合うことが、日本の未来を、あしたを、照らしてくれると信じているから、私は今日も空想する。空想しながら、未来を見据えて、税と向き合う。