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とくしま歴史文化総合学習館(徳島県立埋蔵文化財総合センター)

レキシルとくしま

2016「鳴門板野古墳群」・「阿波遍路道」(焼山寺道,一宮道,恩山寺道,立江寺道)が国史跡に指定されます

「鳴門板野古墳群」・「阿波遍路道」(焼山寺道,一宮道,恩山寺道,立江寺道)が国史跡に指定されます

文化庁の文化審議会は、6月17日(金)に開催された同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、史跡名勝天然記念物の新指定15件、追加指定等27件、登録記念物の新登録3件、重要文化的景観の追加選定1件について文部科学大臣に答申しました。
今回答申された史跡の指定等の中に、徳島県の「鳴門板野古墳群」の新指定と「阿波遍路道」焼山寺道・一宮道・恩山寺道・立江寺道の4区間の追加指定が含まれています。詳細については次の通りです。

鳴門板野古墳群

鳴門板野古墳群は、徳島県の北東部に位置する阿讃山脈東南麓の東西7kmの範囲に展開する、弥生時代終末期から古墳時代前期にかけて営まれた墳丘墓及び古墳からなる古墳群です。
弥生時代終末期には、積石による墳丘を構築し埋葬施設が東西方向であるなど、四国東部の特徴が認められます。
古墳時代前期前半の墳丘は基本的に円墳であり、埋葬施設の構造は弥生時代終末期からの影響を受け継ぎます。ところが、古墳時代前期後半になると墳丘は前方後円墳となり、円筒埴輪を巡らすなど畿内的要素が顕著となります。
本古墳群は東部瀬戸内地域において、在地性の強い墳丘墓に始まり古墳出現過程を示す重要な事例であり、古墳出現後は畿内地域からの影響を受けて変容していく様相から、当該時期における政治状況を知る上で重要な遺跡です。
この度、鳴門市に所在する9基が国史跡に指定されることになりました。

1. 鳴門板野古墳群(大代古墳 竪穴式石室)、2. 鳴門板野古墳群(天河別古墳群1号墳 竪穴式石室 鳴門市教育委員会所蔵

阿波遍路道(焼山寺道・一宮道・恩山寺道・立江寺道・鶴林寺道・太龍寺道・かも道・いわや道・平等寺道)

四国八十八箇所霊場をめぐる遍路道は、四国4県にまたがる空海ゆかりの寺社を巡る全長1,400kmにも及ぶ回遊式の霊場巡礼道です。
今回、史跡として追加指定の答申を受けた遍路道のうち「焼山寺道」「一宮道」は神山町下分の第12番焼山寺周辺の遍路道、約1.9kmの区間にあたります。
古来、阿波では「一に焼山(焼山寺道)、二にお鶴(鶴林寺道)、三に太龍(太龍寺道)」と言われ、焼山寺道は阿波の遍路道の難所の筆頭にあげられていました。峻険なアップダウンを繰り返す山道は「遍路転がし」と呼ばれ、江戸時代の書物にもその様子が紹介されています。全線にわたり古道の景観をとどめる山中の道であり、沿道には焼山寺や藤井寺に至る丁石、道標や遍路墓などが数多く建ち並ぶ、阿波の遍路道で最も濃密に石造物が残る道です。
「恩山寺道」「立江寺道」は、第18番札所恩山寺周辺の遍路道、約0.9kmの区間です。源平争乱の際には阿波に上陸した源義経が行軍したとの伝承も残る古道で、既指定の遍路道とは異なり、平野部の豊かな里山景観の中を行く道であり、遍路道の立地や径路を考える上で学術的にも重要な道といえます。

【写真】焼山寺道 上り十丁石付近、一宮道 焼山寺付近の道
【写真】恩山寺道 恩山寺手前の道、立江寺道 川沿いの道と道標
【地図】史跡 阿波遍路道 追加指定地域参考図 焼山寺道、一宮道、立江寺道の位置を説明している

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