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令和5年5月16日 臨時記者会見 フルテキスト版

知事コメント

(知事)
 それでは、いよいよ明日、5月17日、5期目の任期満了となるところでありますので、明日ということになると少しばたばたしますから、今日、こうした形で退任の会見を開かせていただきました。まずは20年間知事として、部長時代を入れると22年とちょっと、私の県政、県庁の職員の皆さん方に本当にお支えいただいて感謝するとともに、さらには多くの関係の皆様方、そして何よりも県民の皆様方にお支えいただいた20年、あるいは22年少しであったのではないかと。全ての皆さん方に心から感謝申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。これまで、知事としての20年を振り返って参りますと、平成15年5月18日、当時は42歳、全国最年少。大体、42歳というと県庁だと係長さんということでね。就任をさせていただきまして、県庁の皆さん方も、確かに部長時代は2年ちょっとあったわけなんですが、戸惑いもあったのではないか、このようにも思うところであります。こうした中、職員の皆様方とともに力を合わせ、もちろん県議会の皆さん方のご理解、ご支援もあって、まずは大変重要なものとして何点か挙げていくと、これまで政争、その火種となっていた吉野川第十堰可動堰問題。これを翌年の平成16年2月定例県議会、「まずは可動堰以外のあらゆる手段を」と、この言葉、答弁をもってノーサイド、こうする形にできるとともに、国土交通省にも提言をさせていただいて、これまでの対立関係といったもの、こうしたものを解消することができ、そして、「まさに吉野川新時代を迎えるんだ」、このようにお話をさせていただき、その後は着々と、例えば災害予防、あの災いの年の平成16年ですね。そして年が開け(平成)17年の1月、災害予防を冠した国の補正予算が初めて作られる。その後はこれが発展いたしまして、事前防災、国策となりました。
 次に、これは県民の皆様方にも日々、非常に影響のあるテレビのデジタル化、地上放送のね。ということで、茶の間から紅白歌合戦に投票することができる、いいこと尽くめ、政府広報となるわけなんですが、確かに46都道府県にとってはいい。唯一、徳島県だけが大きなダメージを受ける。なぜか。アナログ波であるがゆえに大阪波が全て。吉野川がちょうど紀伊水道に流れていく、こうした地形から見ることができる。しかも大阪は9チャン(ネル)なんですね。1チャン(ネル)はビデオチャンネル。徳島県は四国放送を見ることができるということで、チャンネルが10チャンネル。10チャン(ネル)があるのは東京と徳島だけということで。しかし放送法上は、実はNHK2波と四国放送、3チャンネルしか見えない。つまり全国で最少の県。デジタルは仕事がきっちり、見えるか見えないかということで、10チャン(ネル)がいきなり3チャン(ネル)になっちゃうと。これは大変なことだということで、こちらはちょうど県民環境部長、情報通信担当部長でもありましたので、各市町村長の皆さん方にお話をしたら「それは大変だ、どうしたらいいんだろうか」。「やはりケーブルテレビでつなぐしかないのではないでしょうか」と。ちょうど私が郵政省時代に作ったそうした補助の制度といったものもありましたので、これを活用する中で各市町村が事業主体になっていただく。もちろん第3セクターといった場合もあるわけなんですが、これによって全県下、各ご家庭をケーブルテレビでつなぐ。しかも後発の利でこれが光ファイバーとなった。これがまさに光ブロードバンド環境がここにでき上がる。まさに地上デジタル放送のピンチを大いなるチャンスに切り替え、その後はもう皆さん方もご存知のとおり、今では「デジタル田園都市国家構想」ということで、この光ブロードバンド環境、徳島のような環境を全国に広げていこうではないか、こうした形で令和9年度までに99.7パーセント、光ブロードバンド環境、これを整えていく国策となったんですね。しかし徳島県、「デジ田」の始まった令和4年度の前の年、令和3年度にはもう既にでき上がっていると。ということで「デジ田」、デジタル田園都市国家構想担当大臣は就任されると必ず徳島においでをいただいて、この光ブロードバンド環境がどんな形で使われるのか、本当かというところもご視察いただくということになったところであります。ということで、後にはこれがサテライトオフィス誘致の大きな基盤となるところでありますし、あるいはITのいろいろな企業、例えばコールセンター、あるいはデータセンター、こうしたものの誘致もどんどん進むと。地方にしては珍しいともよく言われたわけでありますが、これはまさに、この光ブロードバンド環境の成せる業ということで、これによりまして、特にコロナ禍が3年を超えたわけでありますが、テレワーク、これを国が推奨する。あるいはサテライトオフィス、これをどんどんやるべきだ。まさに徳島発のさまざまな策がジャパンスタンダードになった、その瞬間でもあったんですね。
 そして、さらにはもう一つ、徳島だけではなくて、この四国が高コスト構造に置かれ続けてきた。これは何か。夢の架け橋と言われた本四三橋。しかし値段が高過ぎた。つまりコストがかかったということで、その通行料金がものすごく、特に橋の部分が高いということで、例えば、あの7のマークのコンビニエンスストアであるとか、あるいは自動車組み立て工場、こうしたものが一つも4県の中にない。高コスト構造の象徴と、当時、言わせていただいたところでありました。まずは徳島から提言し、対岸の近畿、こちらも理解していただくために、日本の有史以来初めてとなる都道府県域を超える意思決定機関、関西広域連合、こちらを関西の経済界ともどもに作り上げる。そして関西広域連合議会、その第1号の議決、これが本四高速の全国共通料金ということになるんですね。これによって四国3県、あるいは中国地方、こうしたところも賛同いただくこととなりました。提言したのが平成16年度、これが達成できたのが平成26年の4月1日、10年かかったところではありますが、これが見事、ということで、7のマークのコンビニエンスストアも、第1号店が徳島市内に作られるということになりました。
 もう一つはやはり、若い皆さん方が必ず言われるのが「四国にプロスポーツが一つもない」、「面白くない」。こうしたことを学園祭などでは当時よく、部長時代に言っているのを耳にしました。そこで、四国初のプロスポーツとなる徳島ヴォルティス、Jリーグを徳島へということで、これが見事17シーズンからスタートを切ることとなり、翌年、愛媛、こちらも愛媛FCが誕生していく。今では四国にJリーグチームが全部で4チーム。高知にだけない。愛媛に二つありますので。こうした形で当時、Jリーグ空白区であったこの四国、今ではJリーグを支える、そうした地にもなってきた。しかもヴォルティスは2度、J1へ。こうした形で、川淵さんの言われたJリーグ100年構想、沖縄以外のいわゆる大きな島、こうしたところに全てJリーグのチーム、これも達成することができるようになったところであります。ということで同じスポーツ、同時に四国アイランドリーグ、特に徳島インディゴソックスはこれまで10年連続でNPB、ドラフトにもかかる。昨シーズンは何と3名。こうした形でプロスポーツが息づく地となりました。
 さらに糖尿病の死亡率ワースト1が、平成5年から何と10年以上続いてくるということがあり、これをしっかりと逆にテーマとして、研究テーマなど、「知的クラスター創生事業」、国の競争的資金、徳島大学ともども行ってくることができる。こうした結果、やはりスポーツ、これをもっともっと日常的にやる必要があるのではないかということで、陸連をはじめ、多くの皆さん方の悲願ともいわれたフルマラソン、こちらを「とくしまマラソン」という形で3期目の公約、この時には、実は「魅力満載はなはるマラソン」と書いたんですね。
 つまり春の阿波おどりである「はな・はるフェスタ」、こちらが意外と知られていない。全国の皆さん方が「夏だけじゃなくて春にも阿波おどりやってくれ」、「いやいや、はな・はるフェスタがあるんだけど」と。そうした意味もあってそのコラボレーション、金、土、日と「はな・はる(フェスタ)」がありましたので、ちょうど、マラソンは常に日曜日ということがありますから、ご家族でおいでいただく、あるいはコースの下見をする、あるいは後夜祭にという形で「はな・はる(フェスタ)」とのコラボ、これをまずは行いました。そして糖尿病死亡率ワースト1、もうワーストなんてことでは全然なくなって、30代、もうワーストは言われなくなった、脱出をしたと、こうした形で「とくしまマラソン」、今ではマラソンのチャンピオンシップ、こちらへ登録することができ、そこでいい記録を出せばMGCの方にチャレンジし、そして例えば来年の「パリオリンピック」、こうしたところにも出場権を得られる、そうした大会にまで発展したところであります。
 そして今、大きな社会問題となっているのが、このコロナ禍で顕在化した地方ローカル線の存廃問題。JR北海道は半分以上の路線が既にバス転換、廃止が決まっているところであり、かつては三島特例、今は二島特例。単独ではなかなか黒字化は難しいと言われるJR四国。ここでも、やはり採算が2番目に悪いと言われる牟岐線、これを何とかしなければいけない。まずは「パターンダイヤ」、四国初。そして、同時並行で走っている徳島バスの高速バスエディ号、こちらと相互乗り入れを、日本初の共同経営。独占禁止法の特例を日本初適用と。そして世界初、阿波海南から南の方には鉄路と道路、両方走ることのできるDMV、こちらを導入できたところでもありまして、今回のゴールデンウイーク、高知の皆さん方も大変喜んでおられました。「室戸まで多くの皆さん方が来てくれましたよ」と、直にお話をお聞きしたところでもあります。
 こうした形で、他をいろいろ言っていくと時間にきりがないわけでありますが、さまざまな新機軸、また日本初、世界初、多くのものを成し遂げることができた。これもひとえに県職員の皆さん方が本当に真摯に理解をいただき、そしてお支えいただいた。また、こうしたことに県議会の皆さん方も賛同いただき、そして多くの議案、こうしたものを通していただくだけではなくて、逆に、国との間のパイプとしても頑張っていただいた。政府への政策提言。さまざまな形でお支えをいただいた全ての皆さん方に、改めてこれらの成果を共有することができればと、このようにも考えているところであります。
 ということで、来し方20年、少し振り返ってみたところではありますが、こうしたものを逆に、マスコミの皆さん方も微に入り細に入り、さまざまな形で報道していただける、これも大変大きな、つまり日本中の皆さん方に知っていただけると、これも重要な点となりますので、マスコミの皆さん方のこれまでのご協力に対しましても、心から感謝、最後に申し上げたいと思います。
 ということで、退任会見に当たりましての、まずは私の方からの口火のご挨拶とさせていただきます。本日はどうぞよろしくお願いいたします。

質疑

(幹事社・四国放送)
 それでは幹事社からお伺いします。

(知事)
 どうぞ。

(幹事社・四国放送)
 今、明日、退任を迎えられるわけですが、率直に、いろいろお話をいただいた中で、その退任を迎えての、今の率直なお気持ち、寂しくなるとか、もうちょっとこういうことがやりたかったとか、そういったお気持ちを教えてもらえますか。

(知事)
 そうした点を言っているといろいろきりがないわけなんですが。しかし、5期20年、全国的に見ても長いわけでありますし、しかも、今は触れなかったものとして一つ、全国知事会の会長、これを人口100万人未満では初。しかも四国は愛媛県が100万(人)を超えているわけなんですが、四国ブロックが唯一空白区であったわけなんですが、その徳島から全国知事会長、これに就任することができた。しかも今は47票の選挙で選ばれると。30名もの推薦人が集まった。こうした点も大変ありがたい話でありました。ちょうど御代替わり、令和元年9月3日からでしたので、さまざまな行事、こうした点にも出席させていただくとともに、年が明けると今度はコロナ禍ということになりました。ちょうど年が明ける前の時に、いわゆる先進国の中で学校教育、1人1台端末、ほとんどでき上がっていたんですね。しかし、日本では令和元年度というのは3人に1台、あまりにも遅れているということで、文部科学省の皆さん方が「予算要求をいくらしても、これ、財務省がつけてくれない」、そうしたご相談を受け、これは政府主体の全国知事会、当時は安倍総理でありましたが、私の冒頭の知事会長としてのご挨拶でこの点に触れて、「何としてもまずは追いつく、これが重要なのではないでしょうか」、このように申し上げたところ、安倍総理の方から「直ちにやろう」と。これが「GIGAスクール構想」ということになりました。結果としてこれが総理の先見の明ということになりまして、年が明けて「緊急事態宣言」、そして学校の休校と、「学びの保障」という言葉も生まれてきた。その一番の機軸となってくるのがこの1人1台端末、「GIGAスクール構想」。これをパワーアップする形でこのコロナ禍を乗り越えることが、まずはできることとなります。あるいは学校の先生、特に徳島など地方では臨時の先生が多いんですね。しかし、その正規に切り替わる時に「どうでしょうか」と言ったら、もう逆に兵庫県、大阪、大都市部に皆、先生方が正規の口が空いて誘われる。全部持っていかれちゃう。「これではいい先生が育たないよ」、こうした声が教育委員会の方からもあったところでありますし、文部科学省の方からも応援要請があり、当時は小学校1年、35人以下学級だけ、本当は年次進行することになっていたんですが、これも財務省の方で予算がつかなかったということで。徳島県は、実は県単定数などを活用する、加配を活用することによって中学3年まで35人以下学級になっていた。しかし、これは全部臨時であるとか、加配でもって埋めていくことになりますので、正規の先生をそれで雇うことはできないんですね。これはおかしいのではないかということで、こちらは市長会、町村会、両方の会長さんからも、義務教育の世界でありますので応援要請があり、これは「国と地方の協議の場」、この段階で提言をさせていただき、ここは菅総理でありましたが、菅総理の方から「では当面、小学校6年まで年次進行で35人以下学級を達成しよう」と、義務教育標準法、40年ぶりの改正を達成することができた瞬間でもありました。これによって毎年、徳島県の正規の定数が増えてくる。これによって、今まで臨時で我慢をいただいた先生方を正規として雇っていくことができる。また、加配として使っていたその定数、これを例えば「DX」、「GX」、こうしたものの教育に振り向けることができる。一石二鳥ならぬ三鳥、四鳥、こうしたものも達成することができました。
 そしていよいよコロナ禍となり、全く先が読めない。こうした中、47都道府県の知事たち、それぞれの状況が違えども思いは一つということで、テレビ会議。実は知事会のこのテレビ会議システム、ブイキューブというものを使い、Zoomではないんですね。安全度をとにかく高めると。当時、情報通信委員会、こちらができ上がった時の、初代から私がずっと務め、このシステムは徳島が提案したものでもあったんですね。ということでこれが見事にその力を発揮する。これがコロナ禍と、政府の方でも大臣との協議、全てこのシステムを通して行うということになりました。こうした形でこのコロナ禍、さまざまな手法、特に「緊急事態宣言」は余りにもきつ過ぎる。あらゆる経済活動、社会活動を止めてしまうということがありまして、これは当時の西村コロナ担当大臣の方に、「せめて知事が判断をし、県内の市町村単位でどこにかけるか、それを決められる。そして「緊急事態宣言」まで行かずに、しかし、その部分に対してそれに近い権限、権能を持つと、こうした制度が要るのではないか」と提言をし、でき上がったのが「まん延防止等重点措置」。しかし、年が明けることとなります。また、「地方創生臨時交付金」。「各都道府県、市区町村がそれぞれの状況に応じて自由に使うことのできる、こうしたものも要るのではないか」、これも提言し、安倍総理が最初は1兆円、お願いをしたところ直ちにつけていただき、その後、16兆円まで伸びてくることとなります。また、もう一つ重要な交付金が「緊急包括支援交付金」。こちらは医療、あるいは福祉現場に対しての支援。しかし当時は2分の1の補助金だったんですね。しかも1,600億(円)からスタート。当時の、二度目の厚生労働大臣だった加藤大臣に提言し、「医療、福祉の皆さん方にありがとうといっている割に補助金というのはまずいのではないですか」と。「これも同時に交付金、10分の10にすべきである」、このように申し上げたところ、4月に遡って10分の10にしようと。そして、ロットについても、今では8兆円を超える形にもなってきたところでもありました。こうした財政基盤といったものをしっかりと国とともに作り上げることによって、5月8日、3年を超えてようやく感染症法上の2類相当から、季節性インフルエンザと同じ5類へと。そして、いよいよ新たなフェーズとなる「アフターコロナ」、この時代に日本が突入することとなったところでもあります。
 こうした形で、全国知事会長として、やっぱりコロナが一番大きかったかなと。本当であればそれ以外にもさまざまなことを行うことができたのではないか。特に災害といった点では、これも大きな流れを作ることができたのではないか。実は、かつては5か年計画というものが公共事業にはあった。例えば建設事業者の皆さん方には、この国の5か年計画をもって銀行はお金を貸してくれたんですね。しかし、これが小泉総理の時に全てなくなってしまうと。予算単年度主義を純粋にやっていくんだと、こういうことになって。こうなると、一体、来年の予算がどうなるのかというのは年末までわからないわけなんですよね。なかなか銀行も貸してくれない。場合よっては要注意貸出先、貸した場合には、銀行が金融庁の方から同じ金額を引当をしなければいけない。「リーマン・ブラザーズショック」の時に、これで多くの建設事業者が全国でつぶれることとなります。こうした点についてもしっかりと緊急融資、これを、四国の半分を徳島が使い、特に建設事業者の皆さん方をはじめ、それを支えることによって、その後のさまざまな災害対応、こうしたものにご協力いただくことができた。こうしたこともあって、徳島としては「やはり複数年、国の計画が必要なんだ」と、これを全国知事会に提言し、これが総意となり、これは安倍総理の時でありましたが、政府主催の全国知事会議、この場で安倍総理の方から「じゃあ、やろう」ということになってでき上がったのが「防災・減災、国土強靭化(のための)3か年緊急対策」7兆円事業。しかし問題はその後継でありました。ちょうどコロナ禍となる令和2年度が最終年次となるわけで、国土交通省などが当然のことながら、3か年で財務省に話を持って行ったところ、財務省から一蹴りされるんですね。それもそのはず。この国は、令和2年度冒頭で1年間以上の予算を使い切るということになりました。そんなお金がどこにある。こうしたことでね。これは地方の方からしても大変なことだと、災害対応することがほとんどできなくなってしまうではないかということで、これは地方6団体の総意として、「国(と)地方(の)協議の場」、ここで菅総理に、冒頭の御挨拶全てをこの1点に、令和3年度予算を使わせていただき、県内建設事業者の皆さん方に「3か年でつなぐというのはどうだろうか」、こうした点を建設業協会などにお聞きしたところ、「3か年では短い」。例えば、若い人を雇い入れる。また、新たな投資をする。このためには5年は要る。かつての5か年計画ですよね。こうした声が総意でもありましたので、総理に「この後継は是非5か年でやってもらいたい」、そして「今の理由だ」、こうした点を申し上げる。あとは5人の会長さんたちがそれぞれに、異口同音に「全国知事会長と同じだ」と。そして菅総理の方から、「まさに全国知事会長の言ったこの5か年で公共事業をつないでいく。こちらは地方の総意なんですね」と、このようにおっしゃっていただき、令和2年12月1日、「防災・減災、国土強靭化(のための)5か年加速化事業」15兆円ができ上がった瞬間なんですね。ということでこちらができ上がり、そして、その後のさまざまな気候変動と言われる異常気象。日本全体がしっかりとこれを迎え撃つ、そうした体制ができた時でもありました。こうした形で、やはりこの全国知事会長、これを引き受けることができた。しかし、これもひとえに県庁職員の皆さん方が、これまでは四国の中で、他所からいろんな情報を取るということが多かったんですね。しかし、逆に他所に情報を出していく。各省にも情報を提供すると、全く立場が変わってくる。それだけの意識改革とそれぞれの思い、こうした点をしっかりと取組んでくれたからこそこれができ上がった。ここは、改めて県庁職員、全ての皆さん方にこの点についても感謝申し上げたいと思います。
 ということで、先ほどは触れなかった、全国知事会長として、ここのところも大きかったのではないか。しかも、これは四国という名前を全国に発信することが大いにできたのではないか。「四国は空白区だ」、このように言われていたもの。あるいは、人口100万人未満というのは全国知事会長は出せないんだ、そうした固定概念、これを外すこともできたのではないか。このようにも思っています。以上です。

(幹事社・四国放送)
 今、述べられたようにさまざまな政治、実績を持っていらっしゃる飯泉さんなんですけれども、明日、知事としては退任なんですが、今後の政治活動はどのようにお考えでしょうか。

(知事)
 政治活動ということに、今、ご質問はあえて政治活動というお話があったんですが、特に知事の役割というのは、これまで行政が大体9割、そして政治が1割ということを申し上げたことがあったわけなんですが、そうした役割をずっと、20年間務めてきたわけですので。政治活動がどうだとか、行政活動がどうだとかというよりも、これらをミックスにするからこそさまざまな形で提言もでき上がってきたわけですので、政治がどうとか、行政がどうとかいうことよりも、徳島、23年近く、部長、知事として取組んできたわけでありますので、これからも徳島発展のために、どんな形がいいのか、これはまだわからないところでもありますので、ちょうど(5月)18日以降、フリーな立場になりますのでね。これまでは本当に、そうした自分の進路を考えるという余裕もなかなかなかったわけなんですが、ようやくそうした機会を20年ぶりにいただくこととなりますので、どんな形が徳島、これから発展に、私として貢献することができるのか、いろいろ思いを馳せていくことができればなと、このように思っています。

(幹事社・四国放送)
 じゃあ、各社さんお願いします。

(朝日新聞社)
 今のご質問に続いて、朝日新聞です。徳島にもう家も購入されているというふうに仄聞しております。徳島は離れないという理解でよろしいんでしょうか。

(知事)
 仕事というのは全国からオファーが参りますので、もちろんその徳島でどんなことができるのか。あるいは、東京だとか全国からどんなオファーが来て、それにどう対応していくのか。こういうことになるわけでありますので、当然のことながら、もう家も構えて、それで住所は徳島ということになっていますから、そうした全国のオファーも含めて、徳島にいながらにしてどう考えていくのかということになります。

(朝日新聞社)
 改めてなんですけど、今、先ほどお聞きしたばかりですけど、国政に意欲を見せられたこともあるし、手腕として自負されているところもあると思うんですけれど、来る衆院選1区とか、もしくはもう少し間を空けての参院、もしくは知事選にリベンジするみたいな、現時点で思っていらっしゃることがもしあれば、現時点ではそれに対しては、先ほどおっしゃったとおりですかね。

(知事)
 ええ、もう全く、先ほど答弁したとおりということですよね。

(朝日新聞社)
 わかりました。あと、それから、この20年でできたこと。何を一番残せたか、この徳島県に。逆に何ができなかったか。この2点をお伺いしたいと思うんですけど。

(知事)
 逆に何ができなかったかといった点、これははっきり言って、これまでの流れから言って、できなかったことというのはないんですよね。つまりチャレンジをして、それがなかなか達成できなかったと、こうしたものはあまり思いとしてないと。逆に何が残せたかというのは、やはり常にキーワードとしてこれまで言ってきたことが、ピンチをチャンスへと。そして、政策としてこれを言う場合に課題先進県から課題解決先進県へと、こうしたことを言ってきて、そして、これをあらゆる施策の中にはめてくると。例えば、先ほどの地上デジタル放送。徳島だけが不利益をこうむると、大ピンチ。しかし、これをクリアすることによって全国トップとなる、世界トップと言う人もいるんですけど、光ブロードバンド環境をはやばやとすることができる。神山まるごと高専のSansanの寺田社長さんは、実は神山のサテライトオフィス第1号においでをいただいたんですね。あのハンモックに揺られて社員の皆さん方がパソコンを叩くって、あの絵がそうなんですけど。そうしたこともあって、「何か徳島に恩返ししたいんだけど」。あれが神山まるごと高専。自ら講師も買って出るし、あるいは授業料もタダ、全国これぞという、いわゆるスタートアップを成し遂げたビックな皆さん方が何と講師に来ると。企業家が企業家を、まさに育み育てて行くんだと。なかなか、普通は企業家の方々は、ライバルを自ら作るということはしないんですけどね。しかし、それをあえてやっているというね。こうした点も徳島がずっと、私がピンチをチャンスへ、あるいは他所がやらなかったこと、「できないだろう」、「無理だ」、「不可能だ」。こうした言葉を全て、「いや、そんなことはないよ」、まずやってみることによってできるんじゃないだろうか。というのは、例えば吉野川第十堰の可動堰問題。これ、マスコミの皆さん方にも直接言われたんだけど、当選した時に「知事、4年間あるんだから、4年間でじっくりやったらいいんじゃない」、これがほとんどの皆さん方。つまり「無理だ」っていうことだったんですね、この決着は。あるいはテレビの地上デジタル化。これについても、「これはもう国策だから無理だろう」と、これは国も考えていた。しかし、これが逆に、光ブロードバンド環境になるだけではなくて「デジ田」のモデルになっていくと。極めつけはあれだね、本四高速全国共通料金。これもマスコミの皆さん方から「知事、そんな、ホラ吹きと言われますよ」ってこう言われたんだけど、確かに10年かかりましたよ。でも、全てこれを成し遂げることができ、関西広域連合までできてしまうと。しかも、徳島がその中核として広域医療。2,200万府民、県民、市民の皆さん方の命を、その中核を担うことにもなっていると。また、徳島ヴォルティスを作る時にも、あるいは、これは最初の選挙の時のマニフェストに載せたんですが、多くの皆さん方に批判を受けました。かつて徳島はJリーグチームを作ろうとした。しかし、これが挫折するんですね。そして、川淵さんからもものすごい怒りを表明されてしまうということがあったんですが、そうしたできもしないことを公約に掲げると。当時、ストレートに言われた言葉っていうのは「卑しい公務員か」って、直接、面と向かって何度も言われましたよね。しかし「それはそうじゃないんだ」と。「やはり、若い皆さん方がこの徳島に、そして四国に、自信をもって、そして居続ける。そのためにはそうしたチャレンジ、かつて失敗したから次できないと、そういうことではないですよ」。このように、説得ではないんですけどね、申し上げて、そして、最終的には皆さん方も理解をいただいたと。こうしたことも一つの、そして、「このJリーグができてどんなメリットあるの」と。でも、あとで、もう皆さん、すぐわかるんですよね。確かにJ2からのスタートだったんですが、J1から有名チームがどんどん降格してくる。そこと対でやり合う。そのうち、ヴォルティスがJ1に上がると。こうすることによって、いわゆる勝ち味というものを知るようになる。「どうせ四国だからだめだ」、必ずこういうふうに言われるんですね。特に若い皆さん方がそう言う。しかし、それはやっぱりまずい。「四国だからいいんだ」、こうした思い。「四国も大いに頑張れる」、「日本でトップだって、世界トップだって取ることができるよ」。こうした勝ち味をしっかりと、特に若い世代の皆さん方には知っていただきたかった。そうすることがこの徳島、四国に誇りを持ち、そしてその後、さまざまな形でビックになっていただけるのではないか。現に今、アントレプレナーという言葉から、藤田社長さんがTIB、徳島イノベーションベース、しかもこれがxIBということで、徳島からスタートをして、企業家が企業家をまさに産み育てると、このコンセプトのもとで、2023年度中には何と、かつては徳島だけだったものが31道府県にでき上がる。しかも徳島、四国からということなんですよね。私がこれまで言ってきたことが、まさに次の世代の皆さん方が見事に花を開かせ、そして、それに続々と多くの皆さん方が賛同いただき、そしてさらなる発展を遂げていくと。まさにいい循環といったものがここにでき上がる。ということで、こうした流れといったもの。そして、不可能を可能にする。あるいは無理ということをまず言うのではなくて、まずやってみようではないか。そして、その先に勝ち味というものがいつかは必ず来るんだ、努力が報われると。こうした思いといったもの、これを伝えることができたことがよかったのではないか、こう思っています。

(朝日新聞社)
 これまでいろいろやってきた中で、ただ一方で喫緊の選挙、強い候補がいたとはいえ、県民からの評価では、投票としては3位に沈んでしまいました。一方で、弊社等の世論調査によると、政策としては過半数の人が支持する。でも投票しない。県民からの、今回の選挙で飯泉知事、飯泉県政に対して下された評価についてどう考えて、なぜそうなった。これは何を意味するのか、何を訴えたいと思っているのか、教えていただいてよろしいですか。

(知事)
 というよりも、今、回答を言われて、質問の中に回答が入っているわけで、半分以上、朝日新聞ではそうした形。でも地元の新聞だと7割の皆さん方が県政を評価していただけると。こうしたことですから、今、申し上げた点について、年代を問わず、性別を問わずご評価をいただいている。7割というのはかなり高い数字ですよね。ただ選挙の結果、投票行動というのは、これはまた別の話であって、今回、特に争点となったのが多選、是か非かと。普通、「多選、是か非か」と聞かれれば、「そりゃ、よくないよね」って、最初にまず言葉が出てくるじゃないですか。しかし、それをあえて、今回のこの厳しい状況、これは、例えばコロナもそうだし、その後の経済復興といったものもそうだし、「そうしたところにその手腕を」ということも多くの皆さん方に言っていただけたということもありましたので、これまで若い皆さん方に「これはもう不可能だからやめようよ」じゃなくて、「チャレンジすべきじゃないか」と言った本人として、やはりここを引くというのはなかなか難しかったところでもあるんですよね。これが厳しい戦いであるというのは100も承知をしていたわけでありますのでね。それともう一つ、皆さん方に訴えかけたのが、「やはりコロナ後、まだ見ぬ景色といったもの、これをともに見ませんか」と。でも、多くの皆さん方はまだ見ぬ景色を本当に見たかった。つまり、私以外の知事がどんな形になるのか。新しい徳島というものを逆に見てみたいと。私自らが実は誘導したようなものなんですよね。ということですから、そうした思いが今回の投票行動になったのではないかと、こう思っています。

(読売新聞社)
 読売新聞です。先ほど、二つ前の質問でできなかったことはなかったというふうにおっしゃったんですけれども、一方で6選目、今回、挑戦されましたけれども、残念ながら落選されて、今後、万博とか「アフターコロナ」を迎える前に退任されるということですけれども、心残りな部分、また、道半ばだと思う分野があれば教えてください。

(知事)
 ホールの問題だとか新駅だとか、今、おっしゃるように万博だとか。しかし、これは私が最後まで全部、当選させていただいたら、万博は確かにその任期内にありますし、そして、その1年後に駅、ホールはできる予定でありましたのでね。駅はもう少し早くということもありましたけど。そうした点を考えると、その後を、あと運営していくというのはまた次の方になるわけなので、いずれは、生涯ずっとやるというわけはできないわけなので、それを決して心残りと思うというのは少しおかしいのではないか。つまり、それを心残りというよりもそれを託すと。ただ、託された人たちがそれぞれの思いで、例えば「これはやめた方がいいんじゃない」、「これは変えた方がいいんじゃない」、そのときどきの世論、あるいは議会、あるいは県庁の中の組織の、職員の皆さんですね。そうしたものの中から結果的にでき上がっていくものとなりますので、決してそれが心残りというのではなく、そうしたものを軌道にまず乗せるということが、その当時の世論、これにお応えをして、これが最善の策ではないのかということで流れを作らせていただいた。それを、流れを今後、引き継いでいただく皆さん方が、さあ、どうしていくのか。場合によってはちょっと変えよう。あるいは全面的に変えよう。あるいはそのままやっていく。さまざまな手法は、その時、その時の世論であったり、県議会のご指摘というのも世論の一つだと思いますから、そうしたものの中で下されていき、最終結果を見出すと。万博にしてみても、これまで「関西パビリオン」の在り方、こうした点については徳島からのいろんな提言、こうしたものがどんどん、どんどんこれがもう関西全体に広がっているわけですので、そうしたものが、例えば心残りというわけではなくて、それがどんどん受け継がれていっているということでもありますので。それは、逆に見事に、まずは「大阪・関西万博」、これを構成メンバープラス準構成メンバーである福井県、あるいは三重県の皆さん方ともどもに頑張っていただいて、まさに日本の浮沈をかける。世界への大いなるアピールの場でもあるし、逆にそこでアピールができなければ厳しい結果を招くわけでもありますのでね。これは総力を上げて頑張っていただきたいな、大いにエールを送りたいと思います。

(読売新聞社)
 実際、これまで5期20年続けてこられて、人口減少の対策だとかいろいろ進めてこられましたけれども、なかなか東京一極集中に歯止めをかけづらいという、人口減少が続いたり、なかなか厳しい状況でも、現在ありますけれども、この分野がまだ、これからもっとできただろうにとか、ここは途中で終わってしまったんじゃないかとか、そういった思いというのはない、ありませんか。

(知事)
 ないですね。というは、よくこの人口減少をマスコミの皆さん方は取り上げられるんだけど、徳島は、日本の中の徳島であるということがまず前提になるわけで。じゃあ、日本全体で人口がどんどん増えている中で徳島だけが減っているといったら、どういう施策をやっているんだ、これは当然ですよね。しかし、日本の中だ、全体が減少している。ましてや合計特殊出生率であるとか、あるいは、今おっしゃるように東京一極集中。確かにコロナの時は一旦減ったんですけどね。またすぐに戻っているでしょう。これはやっぱり国を挙げてやっていただかないことには、なかなか地方だけの力では。こっちも全国知事会長として、ちょうど令和2年度の時に若い皆さん方、ネットアンケート調査で65.8パーセントの皆さん方がもう地方に離転職、大学も東京を辞めてもう地方の大学に行きたいと、こうしたお話があったのでこれにお応えしようと、全国知事会として三つ提言しましたね。
 一つはやはり、明治からずっと東京にある、この統治機構と言われる何々省、何々庁、本庁機能を地方へ移そうと。第1号が消費者庁、新未来創造戦略本部、徳島に来た。今年度、ようやく文化庁が京都府へ。
 それから、2つ目はやはりみんなの憧れる大企業の本社がほとんど東京にあると。これを地方へ分散させるべきだと。この手法としてサテライトオフィス。こうした点を提言した。ただ、これはコロナによって結局、もう本社に出勤するな、7割は来なくていいと、こうした話になって、もう本社機能といったものがほぼ、今ないというのが一部上場企業の在り方になっているんですよね。まさに我々が言い続けてきたことが、今や実現をしているということになっています。しかし、これだからといっていきなり東京からみんな離れるということでもないと。
 そして3番目。やはり大学の時に多くの皆さん方が東京、大阪に行っちゃう。特に東京に行っちゃうと。それもそのはず。東京の、いわゆるこれから大学に行こうという皆さん方の数と大学の定数。大学の定数が倍あるんですね。つまり、黙っていたって東京の大学に学生さんたちが集まる仕組みになっている。徳島はそうじゃないですよね。皆さんが徳島の大学へ、全部が行きたいといっても入りきらないんですよね。
 ということで3番目、地方大学の魅力のアップと定数増、これをすべきだと。そして、これは令和5年度からいよいよ第1号、第2号、第3号ということで3校。その一つに徳島大学理工学部、医光、医工融合で30名増ということになったわけでありまして、さまざまな施策、また、全国知事会長として提言をし、それを徳島が自ら実行していくと。こうしたことが、この三つの点でもおわかりをいただけると思うんですね。しかし、何といっても四国、かつてから人口減少、過疎化、少子化、高齢化。最初に課題がくるところでもありますので、さまざまな手法を、そしてジャパンスタンダードを作り上げてきたわけですので、恐らくこれからだと思いますよね。ということで、さまざまな仕組みを国に提言し、作り、場合によっては全国知事会長として自ら提言をして、そしてそれを、第1号をほとんど徳島がやってきたということから、あとはその成果、これをしっかりと引き継いでいただく全ての皆さん方に頑張っていただく。エールを送りたいと、こう思っています。

(読売新聞社)
 ありがとうございます。

(幹事社・四国放送)
 次、後藤田さんが知事になられますけれども、後藤田次期知事に対してはどのような思いが、どういうふうにやってもらいたいとか、どういうふうに引き継いでいってもらいたいという気持ちでしょうか。

(知事)
 もともと彼とは、最初の知事選の時には全面的に応援をしてもらいましたし、また、その前の時、部長時代には彼が衆議院議員になって間がなかったんですけどね。いろんな形で共闘してやってきたと。そうした関係でもあるので、その後はさまざまなね。彼も期数を重ねてくるに当たってさまざまな皆さん方との関係ができてくるということになりますので。こちらも期数を重ねることによってさまざまな皆さん、関係者が出てくるということがあって、今回、戦うということになったんですが。結果として、彼としては「今までの路線を全部変えるんだ」、「県庁刷新だ」。これは私がまだ見ぬ景色といったものを今回、6選という中で県民の皆さん方に言った。そうした一つの流れでもある。つまり飯泉という知事、時代でない、今度は後藤田という知事、その景色というものを見てみたいな。恐らくこうした皆さん方の支持を得られたのではないかと、こう思っていますので、まだ見ぬ景色といったものをどのように作り上げていくのか。そこは期待を持って見ていきたい。かつては同志でもありましたからね。しっかり頑張ってもらいたいと思います。

(徳島新聞社)
 徳島新聞です。先ほど流れを作られたとおっしゃった新ホールと県立アリーナですが、後藤田新知事が計画を見直す方針ですけれども、これについてどうお考えでしょうか。

(知事)
 これは選挙で、公約で言われたことですからね。まず当然、それに着手していくんだろうと、こう思っています。さっきも、もう既に申し上げたように、時代というのはいろいろ動いてくると。また、社会的な環境というものも変わってくる。恐らくそうしたものの中で世論というものもさまざまに変わってくる。県議会も世論の大きな一つということになりますので。そうした二元代表制の中で、あるいはさまざまな県民の皆さん方の声、それをマスコミの皆さん方が届けるということになると思いますので、こうした記者会見の場でどういうふうにやっていくのかということを恐らく、その時々の状況に応じる形で恐らく言われていくんだろうと。まず、スタートは見直すということから入って、最終結果がどうなるかというのはその時の世論、これをどう汲み取るかと。知事というのは決して偉いわけじゃないんですよね。つまり、よく全国知事会長、あるいは若手知事会を率いた時に、若手の皆さん方には言うのね。「飯泉さん、知事って偉いんですよね」と、こう言うから、「いや、市長さんは偉いよ、市の長なんだから」。町長さんも村長さんも村、町の長ですよね。でも知事って県長かといったら、いやいや、知事です。知る事と書いていると。「じゃあ、その県のことをどのくらい知ってるの」。こういうと「うっ」と、こうなるわけね。だから、知事というのは多くのことをまずは知らなきゃいけない。その中には一番大きいものとして世論、これがあるわけでありますので。恐らくそうしたものを感じ取って、そして流れを作っていかれるのではないかと思いますので、これからだと思いますね。

(徳島新聞社)
 選挙からこの1か月、ホールとか新アリーナについて、何かしら対応って取られたんでしょうか。

(知事)
 こちらについては特に、新しい(5月)18日からの知事が「見直すんだ」と言っているわけですから。その流れを、例えばそれを進めなければ県が損害賠償を請求されるとか、そうしたものについてはちょっと対処しなければまずいわけなんですが、それ以外のものであればそのまま置いておくという形を取らせていただきました。

(徳島新聞社)
 特に止めるとか、指示をされたとかではなくて。

(知事)
 自然体に置いてあると。ただし、損害賠償などがということがもし発生するということであったら手を打たないとまずいですからね。でも、そういうことはなかったと。

(徳島新聞社)
 検討するようにということをされたんですか。損害賠償とか、そういうのが起こり得ないかということを検討。

(知事)
 いやいや、それが出てきそうであれば。我々がアクションを起こすわけじゃないですからね。だから、何らかのそういったアクションが起こされた場合には対処しないと、放っておくというわけにはいかないわけですから。でも、そういったことは起こらなかったということです。

(徳島新聞社)
 ホールについては後藤田さんが見直すということで、オープン時期が延びることが予想されているんですけれども、これについてはどう捉えられていますか。

(知事)
 これも多くの「利用したい」という世論、こちらでは1日も早くということもあったので、我々としても1日も早く達成できるような手法というものを取らせていただいて、そして、これまでの方向としては、ちょうど「大阪・関西万博」、2025年の翌年、これをオープンするという形を言ったんですね。しかし、それを数年遅らせるという話。だから、これもさっき申し上げた、利用したい、あるいは今、既に、例えば吹奏楽などでは香川とか高知の方に行っちゃってると、「困る」と、こうした声を知事として、何と言っても知る事なんだから。それをどういった形で世論を判断して、そして結論を導き出されるのか。それに尽きると思っています。先ほどの答えと一緒ですね。

(徳島新聞社)
 ホールについて、30年ぐらい計画が迷走して建たないという状況が続いているんですけれども、飯泉さんが知事を続けられていた時に、例えば原市政で都市計画決定に同意しないとか、あるいは遠藤市政で計画していたホールが、土地交換協議に応じないということで止まってしまうというようなことがあったかと思うんですけれども、1日も早く利用したいという有権者の方の声がある一方で、私から見たら飯泉さんが止めてきた部分もあるんじゃないのかなと思うんですけれども、ご自身のご責任というのはあるとお考えになっていますか。

(知事)
 今、二つ出たと思うんですけどね。例えば原さんの時、この場合に、最初から例えば西新町にホールを作るという計画にはなってなかったんですよね。突然マンションとホールかということになった。もともとは動物園跡地というのが原さんの公約だったはずなんですよね。そうしたものの中で、じゃあ、どんな形で進めていくかということをやっていて突然あの話が出てきたと。当然さまざまな財政状況の問題だとか、こうしたものもあって。当時は知事として都市計画、ここで「No」を言える状況だったんですね。ということで、やはりしっかりとリセットをして考え直していただきたいということで「No」を出させていただきました。ただ、そのあと法律が改正になって、それはもう「No」という権能、これがなくなった。つまり、あとは市長さんのご判断にと。これが地方分権をより進めるという形で原さんが進めてこられた。ところが、今度は遠藤市長さんとの戦いの中で、逆に白紙という遠藤市長さんが当選されちゃったということに、これなるんですよね。だから、今度は遠藤市長さんになって、いろんな手法、場所が転々とするわけなんですが、やはりその当時ぐらいから、やはり「1日も早く必要になるんだ」という声が本当に出てきたという中で、というのは、鳴門の方が耐震化で止める、もうなくなるとかね。それまでの時にはまだ1,000(席)を超えるホールがあったんですよね。だから、そうしたものの中で我々も、確かに県議会からいろいろご意見はありましたよ。ところが、それ進めるんだったら進めようということで私はやっていた。ただ、今言われた話で抜けているのがある。もともと市議会の場で付帯決議がついたんですよね。

(徳島新聞社)
 それは、市議会は、遠藤さんと市議会の間の話ですよね。

(知事)
 ただ、それを県議会の方は「しっかりとそうしたものを重視していく必要があるんだ」と。勝手に知事としてOKすべきではない。それは二元代表制なので。当然、市議会でいったことというのは県議会も応援をすると。よほどの大義がなければね。それは普通のことなんですよ。だから、そうしたものの中で市長さんが会見の時に、「その付帯決議というのは、別に守らなきゃならないという法律的な、そうした拘束はないんだ」。「優先交渉権者、これを決めない」というそうした話だった。それはなかなか厳しいよね。だから、二元代表制である市長さんが市議会のつけた付帯決議、「こんなの守らなくていいんだ」って堂々と言われてしまうと、これは県議会だって「そりゃ、どうするんだ」って、「慎重にやれ」ということに、これ、意見が出たでしょう。これもご存知ですよね。そうしたものの中で、本来はそうしたこと、優先交渉権者を決めなければ交換だって進んでいたはずなんです。だって我々、全然「No」って言ってなかったんだから。だから、そうしたことをあえて踏み出されてしまったから、ルール違反をしてしまった。あるいは認識の問題として、二元代表制で片一方に権能があって、付帯決議という重いもの、これは県議会だって同じだし、国会だって同じなんです。付帯決議を無視していいなんていうことは誰も言わない。総理も言わなければ知事も言わない。それを堂々と言われてしまうと、これは県議会だって、まさかそれに同意を出すわけじゃないだろうね、こうなってきた場合はこっちも慎重にならざるを得ないし、なかなか厳しいよねと、同じ理事者側として。ということなので、そこのところを飛ばしてそれがどうと言われるのは少しおかしい。やはり、きっちりとこれまでの経緯といったものを踏まえたうえでの話でないとねと。

(徳島新聞社)
 今、県内に1,000席規模のホールはない状況なんですけれども、これはやむを得なかったというふうにお考えですか。

(知事)
 やむを得ないと思ってないですよ、だから。遠藤市長の時の話についても、県議会でいろんなご意見はあったけど、では、まず交換という形でやったら。つまり「交換というと早いでしょ」って。あれはこちら側から提案して、なるべく早くできる手法として、「交換が一番いいんでしょう」と。つまり、中の埋蔵物とかいろんな話がありましたのでね。だからそういった、より早く、早くという形の提案をこっちもしてきた。ところがちゃぶ台をひっくり返しちゃったね、特に市議会の付帯決議。そこなんですよ。だから私が止めたどころか、私はなるべく早く、そうしたご意見が出ていたので、なるべく早くできるもの。それは市としても負担が一番軽くて済むものというものを提案させていただき、市の方もそれに同意をしていた。ただ、「市議会の付帯決議、これは守らなくていいんだ」ってやっちゃった。当然、それは県議会についても、それは市議会との付帯決議って重く考えるべきだ。当然、同じ議会サイドということだから。それはこっち側に言われてしまいますけどね。そういうことだったと。ご存知のことだと思いますけどね。

(徳島新聞社)
 記念オケ問題がかつてあったかと思うんですけど、そういった点、今、振り返ってどうお考えでしょうか。

(知事)
 もうこれも1年半以上、県議会でさまざまなご意見、ご質問、こうしたものをいただき、それに真摯にお答えをさせていただいたということ。で、最後のこうしたものも、これ、あって、結果として脱税、そうなったと。しかもこの中でも、我々も、私も税をずっとやってきましたのでね。所得税法違反に問われていない。あるいは「会社としてアコギなことやったんだ」なんてマスコミで一部、言われることもあるんだけど。じゃあ、当然のことながら、法人税法上でも、これはもう多くの加重の負担、これを当然かけられる。しかし、それもないということがあったので、これもう、もうこの場でも、あるいは県議会でもお答えしたとおりということなんですけどね。

(朝日新聞社)
 記念オケ問題では、やはり脱税という問題もあるんですけれども、知事の知人の女性に何かを優遇したのではいかと、いわゆるネポティズムみたいなものを批判された部分もあると思うんですが、そういう疑惑を招いた、もしくはそういう批判をされたことについてはどう思われますか。

(知事)
 批判というのは必ず、その方が例えば、脱税ということがなければ恐らくそうしたこともなかったのかもしれないし。しかし、結果としてそうしたことを招いたということに対して申し訳ないということを、これは会見の場でも申し上げたと思います。当然のことながら、そうしたことをする人にそういったことをやってもらう。確かに、二度の国民文化祭、頑張っていただいたといったことはあったんですけどね。

(朝日新聞社)
 疑惑を招いてしまった、脱税で有罪になるようは人に頼んでしまったこと自体。

(知事)
 結果としてね。

(朝日新聞社)
 あと、そういう批判を招いたこと自体に申し訳ないということ。

(知事)
 もう既に、それは会見の場で申し上げたと思います。

(朝日新聞社)
 そこは今も変わらないということですね。

(知事)
 ですね。それはもう会見の場で言った話ですからね。

(徳島新聞社)
 そういった、どうしてその音楽事業に深く関与できたのかという、いろいろ、当時、疑惑といいますか、そういうことも言われたかと思いますが、そういう点、知事は払拭できたといいますか、そういう、県議会調査ですね、払拭できたと思われますか。

(知事)
 というか、私の方としては、県議会があれだけの長い期間、ずっとさまざまな形で、与党、野党ともにご質問をいただき、さまざまな提言もいただく中で、県議会の場でもそうしたものはもう払拭できたのではないかというご意見はいただいたところではあったんですよね。つまり、それだけの長い期間、さまざまな形で、そしてその事業の在り方、こうした点についても「これはこういうふうにしよう」。県議会からも「いや、もっとこうしたらいいんじゃないか」。さまざまなご意見をいただく中で仕組みを変えていったということがあって、アウトプットも出たということになりますのでね。一定の形といったものができたのではないか。そして、より県民の皆さん方が、より、いろんな発表。ちょっとハードというかね。発表の場、先ほどの1,000人のホールというのはまだない、アスティ以外はないんですけどね。そういった形はつくれたのではないかと。これは今までの県議会、あるいはその当時の記者会見の場、それでも申し上げたとおりと、と思っています。

(読売新聞社)
 読売です。記念オケの問題で関連してお伺いしたいんですけれども。先ほど、以前、過去の会見で思いをお話されたとおりだとのことだったんですけれども、一方で県議会では、知事に対して質問があるのに担当部長が答弁するというような場面もあったりして、知事の説明が足りないのではないかという批判もあったりしました。そのようなご姿勢に関して、ご自身、振り返っていかがでしょうか。

(知事)
 これも答弁を、私の方からもさせていただいているんですが、特に共産党の皆さん方のご質問に対しての答弁だったんですけどね。同じ質問をされるわけですね。切り替えたような、新たなことのように質問されると。だから、「これはいつの議会の時にこういう質問がありましたよね」、「それにはこうお答えをしました」。そういった形を、まず私が一つの雛型として。また同じ質問が出てくるので、担当部長がそれに基づいて行っていくと。

(読売新聞社)
 それは、例えばそれで納得をしていないからさらに質問をされているとか、もっと説明を重ねた方がいいのではないかとか、そういうふうにお考えになることはなかったんでしょうか。

(知事)
 というか、同じ質問ですからね、それは。何か新たなものとしてやるというよりも、同じ質問をされるのであれば、当然いつ、こちらに全部記録、マスコミの皆さん方もお持ちだと思いますけどね。「これに対してはいつ、こういったことをご質問いただいたので、こうお答えをしています」と。当然、複数の議員さんがおられますから、当然その中で、違う議員さんが質問されるということは、これ、あるんだけど、恐らく党として代表してやりますということですから、当然、それに対してそのようにお答えを、引用をかなり入れてさせていただいていました。

(徳島新聞社)
 徳島新聞です。少し、ちょっと質問が変わりますけれども、前回の定例会見からあとに、この会見室にいろんなシステムが導入されて、知事の任期中に整備されたもので、モニターとかで何か発表するようなことがあってもよかったのではないかと、せっかくだったら思っているんですけれども、それをちょっと使えなかったようなことに関してどういうふうに思われていますか。そういうのを活用できなかった点についてどういうふうに思われていますか。せっかく知事の任期中に新しいシステムを利用した、会見が今日までなかったので、なかなか使うことがなかったと思うんですけども、せっかくだから、知事が何かを発表するなんかで使ったほうがよかったのではないかと思うんですけれども。

(知事)
 そういう意味。でも、システムというのは、それぞれ今、皆さん方もいろいろ、テレビカメラも本当に小型化になってきたりしていますからね。確かにそちらのところに入れるとかというのは新しくなったんだと思いますけど。これは私が政策としてどうということではなくて、時代の流れとして、当然、広報の方からなるべく今の時代にマッチした形で導入したと思いますのでね。たまたまそれを、使う、使わないというのはあるのかもしれませんけど。でも今日は結果、使うことになるわけですからね。

(徳島新聞社)
 あと、今後のことなんですけれども、知事の。先ほども申し上げたとおり、また今後考えるということなんですけれども、この1か月間、いろんな方にお会いして、挨拶もされてきたと思うんですけれども、その中で何か、今後についてこんな声が多かったというような声ってあったんでしょうか。有権者とか、いろんな方から。

(知事)
 というよりも、これまで来し方。例えば役人、官僚として19年1か月、それから知事として20年。今、大体、霞ヶ関だと、私の年が事務次官の定年になるので、同期とか、あるいは後輩が今、なっているんですけどね。彼らと話をしても、我々これから第2の人生と。だいぶ、そうした意味では。今、大体男性の平均年齢が82(歳)ということですから、ちょうど62(歳)からですからあと20年。だから、またあと20年。「第3の人生をどうされるのか楽しみにしていますよ」と、「思う存分されたらいいんじゃないですか」って、大体、これ多くの声でしたね。つまり珍しいと。「普通はこれから第2の人生を迎えるんだけど、第3の人生ということですよね」って。こういう声が多かったですね。「珍しい人生ですね」って。

(徳島新聞社)
 具体的にどうこうしてと欲しいというよりも、もう知事を見守っていますというような。

(知事)
 そうそう、どちらかと言うとね。これまでも驚くような、例えば、知事選に最初に出た時もまさにそういう、1年9か月に3回の知事選と。「本当に徳島って知事選が好きですね」みたいな、東京の方じゃ、当時、部長でしたから、えらい言われた時代でしたけどね。あの時も、その後、まさかあの戦いに出るとは誰も思っていなかったと思うし。そうした意味では「割と驚かされることが多かったよね」みたいな話は、割と仲間の方からは聞きますけどね。

(徳島新聞社)
 あと、知事は「趣味は徳島だ」ということをずっとおっしゃっていましたけれども、これから、その趣味はどうなるかというのも一つ気になるんでしょうけれども。

(知事)
 いや、先ほどもお答えをしたように、「これからどうするんですか」と。やはりこの、今までの経験。一番長く住んだのも徳島ということにもなりますのでね。だから徳島という、それを一つの大きな素材としながら、どんな形でこれを発展させていくことができるのか。これまでも、例えばコロナでのさまざまな対応といったものも、結局、徳島でやってきた施策が今、全国に広がり、使われているわけですよね。だから、そうした意味では、自然エネルギー協議会の今までの会長、これも(5月)17日をもって辞任いたしますけど、「GX」の関係もさまざまやってきた。だから、そうしたものもしっかりと、この徳島にいながらにして見ていくというのが、これからの大きな役割なんじゃないのかなと。決して、必ずしも自分がそれを率先垂範してやっていくという立場、プレイヤーだったものから、今度は、場合によってはコーチとか監督とか、野球とかサッカーで言えばね。そういう在り方もあるんじゃないかなと。それが皆で言った、今までの20年、次の20年、それからこれからの20年、第3の人生ということになるんじゃないかなと、こう思いますけどね。

(徳島新聞社)
 繰り返しになりますけれども、政治家としての引退は考えていないということでしょうか。

(知事)
 というか、引退というよりも、今や生涯現役ということをいろんな場で、皆さん方もお聞きになられていると思いますけど、言っている以上、あらゆる分野において定年があるとか、そうしたものというのは、これからの日本、あるいはこの時代といったものには少し合わないんじゃないかなと。必ず、そういって、例えばスポーツでも「引退します」という話が出るんだけど、結局、それは選手として辞めるという場合があったとしても、その後の人生として、いやいや、コーチとして、あるいは監督として、あるいは、いろんなマスコミのキャスターとして、指導者として、さまざまな場面があるわけなので、そうした世界を引退というよりも、生涯そこの世界にかけていくと。それだけの知見がある皆さん方ですからね。それは、これからのマスコミの皆さん方の質問も変わってくるんじゃないかと思うんですよね。それが一番問題だと、逆にスポーツの世界も言われているんですよね。そこで選手生命が絶たれて、その後、人生が大変だと。じゃなくて、それも一つのキャリアだと。次のキャリアはまだない。さらには生涯現役としてどういうキャリアがあるか。もちろん選手としても、オリンピックに行くだけが選手じゃないんですよね。だから今度、「大阪・関西万博」の2年後、2027年に「ワールドマスターズゲームズ」、関西、徳島12競技種目やりますけどね。ああいったところへ出て金メダルを取っていくと、これも一つ。だから、こうした場合、選手引退じゃないですよね。100歳でマスターズ、世界記録を出す人もたくさんいるじゃないですか。だから、これからはやはり、あらゆる分野において生涯現役。引退ということを、言葉自体がなくなっていく時代になるんじゃないかなと。皆さん方も使われるじゃないですか。あるいは記者の皆さん方も、支局長になってからまた記者に戻られる方もおられるし。昔じゃ、そんなの考えられなかったですよ。だから、生涯もう記者として頑張れると。これまたすばらしいことですし、それだけのやっぱり知見が必要になりますもんね。あるいは人脈はどんどん増えるわけだし、と思います。

(徳島新聞社)
 今、国政への転身もご検討されているということでしょうか。

(知事)
 いや、検討するというよりも、やっぱりそうした、あらゆる、どんな可能性があるか、これから全然わからないわけなので、自分からこれを辞めるとか、それはちょっとおこがましい感じがしますよね。

(幹事社・毎日新聞社)
 ちょっと変わるんですけど、今日付けでお二人の副知事とか政策監が退職されるということなんですけど、これは飯泉知事が承認されたということなんですけど、飯泉知事の任期は明日までで、なぜ、明日でなくて今日付けなんでしょうか。というのは、明日は特別職がほとんどいなくなるという異常事態で、安全、安心徳島というのを標榜されている飯泉知事であれば、もう1日、せめてご自身の任期まで一緒にやってもらえないかと説得されてもいいと思うんですけど。例えば。

(知事)
 説得をするというよりも、一身上の都合で出されると。だから言うと、本当はもっと早くてもいいというのを「ぎりぎりまでの方がいいんじゃない」ということは申し上げていますけどね。それと今、言われるみたいに、私が明日はいるわけですから、人間なんで、それはわからないというご質問なのかもしれないけど。でも、とりあえず私がいる。私が明日いないとちょっと違う部分になるので、そこのところは、あまりそこはぎりぎりのところですからね。1週間前に辞めちゃったということではないと思うんですけれども。こう考えています。それぞれの皆さん方も、それぞれ、そういった点を考えたうえで出されたんだと思いますけどね。

(朝日新聞社)
 関連してなんですけど、それは県によるし、ケースによるとは思うんですけど、何か、副知事1人が辞められるとしても、大体、変わる時に、行政の継続の問題もあって、副知事1人は残ることが多いんですけど、特に新しい知事がなられるに当たって、お一人留まった方がいいというようなアドバイス等はされなかったんでしょうか。

(知事)
 というか逆じゃないですかね。県政を継続するという新しい知事さんが来られる場合はそうしたこともあるんですよね。ところが県政を変えるんだと、刷新をするんだという人が来られるのに、そこが残っていて、場合によっては意に沿わない。じゃあ、この首を切るということを新しい知事にさせるというのはどうだろうかという思いがそれぞれあったんじゃないでしょうかね。県政継続ということだったらね。もし、それでも辞めるという場合がほとんどなんです。でも、そういう場合に少し継続という意味で、それはないわけじゃないと。逆に多いわけじゃないですよ。逆だと思いますよ。私も全国大体見てきていますけど。

(時事通信社)
 よろしいでしょうか。

(知事)
 どうぞ。

(時事通信社)
 結果としまして、一部の政策というものは新知事になって見直しという形になると思うんですけれども、おおよその部分で今後も引き継がれていく政策といったものはたくさんあると思うんです。それに対して何かしら、飯泉知事の方で新知事に対して要望、もしくは何かしら伝えたことがあるのかといったところをお聞きしたいんですが。

(知事)
 そうしたものは逆にこちら側から、「県政を継続するんだ」っていうことであればさまざまな要望というか、「こういうふうにしてもらった方がいいんじゃないの」というのはあるんだけど、「それを刷新していくんだ」と、「変えていくんだ」ということであれば、余り余計なことを言わない方が逆にやりやすいんじゃないかな。そう思いますけど。

(時事通信社)
 ありがとうございます。ちなみに、直接お会いして話し合う機会などは、今まであったんでしょうか。

(知事)
 全くないですよ。

(朝日新聞社)
 すみません、たびたび。また、今度お会いされるということですけど、20年務められて、その前の20年は官僚としても各地方を見られた方として、後藤田新知事にアドバイスをするとすれば何があるでしょうか。

(知事)
 アドバイスというよりも、知事というのは、先ほど、若手知事たちにも申し上げてきたみたいに、いわゆるその市長さんとか町長さんとか村長さん(のような)長ではないと。いろんなことをやはり知って、そして物事に対処していく。そうした点について、当然、ご本人は私以上に政治的なキャリアが長い。23年、衆議院議員をされているわけですからね。そうしたことは十分お分かりのことだと思うので、今さらどうということではないかと。私よりもキャリアが短い方であればアドバイスすることもあるでしょうけど。

(徳島新聞社)
 今後なんですけれども、政治家を続けられる可能性を否定されていないと思うんですけれども、一方で「20年間を振り返ってできなかったことはなかった」ですとか、「心残りというものはない」とか、「この分野ができなかったということはなかった」というようなご発言をされていて、仮に政治家を続けられる場合にこれはやりたいというようなことはあるんでしょうか。

(知事)
 仮の質問にはなかなか答えることは難しいでしょうね。それよりも、今言ったように、当然、今後、いろんなお話、そうしたオファーに対し、さあ、どう向き合っていくのか。そういうことだと思うんですけどね。

(徳島新聞社)
 徳島新聞ですけど、いわゆる衆院選とか参院選に「出てくれ」と言われれば出る可能性もあるということでよろしいんですかね。

(知事)
 というよりも、何度も言うみたいに、まずはじっくりと、今、皆さん方、すぐ目の前の衆議院選挙、あるいは、先ほど質問で参議院選挙がって、こう話があったんだけど、そうしたものについてどうこうというよりも、まずはこれまでの来し方20年、務めてきたわけなので、しっかりとこれまでのことをレビュー、振り返ってみるという期間も重要だろうし、ほとんど休むということもなくやってきていますので、少し休養もさせていただければありがたいなと、そう思っているだけということで、そういったオファーがどうとかこうとか、とか、いうことでは全くないと、そういうことです。

(幹事社・四国放送)
 先ほど、人口減少のことについてお話の中で、それは国を挙げてやらなければなかなかできないことだと。ただ、知事はずっと人口減少対策はやると、さまざまな施策はやられたと思うんですけれども、その中で、多分そこで知事は、どこかで「知事としての限界がある」という発言というのはそういうところだったと思うんですよね。

(知事)
 いや、そんなことはないです。

(幹事社・四国放送)
 ではないですか。

(知事)
 それはない。つまり、人口減少対策というのはのちに、これは総理であったり、担当大臣が言われて、「国としてやらなければいけない」ということを現に言われた。この会見の場でもそういう話題になったことがあるんですけどね。だから、やっぱり国策としてやらないことには、つまり日本人全体がやっぱり増えていく。いわゆるゼロサムだとかマイナスサムの今の状況、今、マイナスサムですよね、ではなく増える中で、だからまずはどこがどうと。実は全部、知事会の中でも東京一極集中を是正だということに対して、都知事はもちろんのこと、いわゆる東京圏という、神奈川、千葉、埼玉の知事たちも少し疑問を呈したことがあるんですよね。何か私たちが悪いもののように扱われていると。だから、そうじゃなくて、日本全体が人口が増えるという流れで、やっぱり47都道府県が結束すべきだと。何となく東京にたくさん人がいる、神奈川にいる、千葉、埼玉にいる。その人たちをこっち、地方に持ってこようと。つい、そうした施策になっちゃうんですよね。そうじゃなくて、やはり日本全体をプラスにしていく。そうするためにはどうしたらいいのか。当然、そういう場合は東京、あるいは東京圏、一都三県、こうした皆さん方の協力もなければならないですし、47都道府県挙げて、そしてやっぱり旗を振ってもらうのは国策として。ようやくでき上がったのがこども家庭庁ですよね。ようやく子育て世代といったところに光が当たる。そういった役所はまさに先端的に、一端を担ってやると。今年4月。だからようやくという感じじゃないでしょうかね。つまり、そうした中で、どこもここもがさまざまな対策をやりながらも、やはり国全体が増えないがゆえに、逆にあるところは増える、それは持っていかれちゃうということになっちゃうんですよね。だからそうした点、やはり国策として底上げをしていかないことにはなかなか難しい。各都道府県がやってきた、あるいは各市区町村がやってきたものの中で、これぞ、あるいはいい政策、これはマスコミの皆さん方がどんどん全国へ発信していただく。あるいは国の方でそうしたものに対して、例えばインセンティブをつける、助成金をつける。で、みんなでやってみないかと。例えばうちのサテライトオフィスとかね、あるいは光ブロードバンド環境なんてその典型だと思うんですけど。そうした形で47都道府県、あるいは1,700の地方公共団体もさまざまですからね。そうしたもののいいもの、この事例をどんどん政府広報としても出していただいて、そうしたものに対してどんどん、「じゃあ、うちやってみよう」というところにインセンティブ。つまりやるための、例えば交付金がいいのか。あるいは、国が何か認証してくれるのがいいのか。そうした形で早く国を挙げてやっていかなければ、なかなかこれは難しい。つまり、どんな国においても人口減少を経験しているんですよね。だから、そうしたところでもさまざまな施策を国策としてやっていく。これでもなかなか難しいということもありますのでね。やはり日本を挙げて。そうした意味ではこども家庭庁、あるいは総理の言う今後の予算として、異次元の予算、こうしたものを組んでいきたいと。こうしたところに期待をかけるということになるかと思います。

(幹事社・四国放送)
 そういった国を挙げてという中で、その構成メンバーに入りたいというお気持ちはないですか。

(知事)
 それは特にないですよ。だって、今までいろんな施策を打ち上げて、それを国が取って、それで国策として進めてくれているじゃないですか。だからその流れ。あるいは民間の方でも、さっきのTIB、xIBの話もそうだし、あるいは神山まるごと高専もそうだし。そういったイズムといったものがどんどん受け継がれているところですのでね。そうした意味では、逆にそれを見守っていくという方がいいのかなっていう感じはしますよね。

(読売新聞社)
 読売新聞です。その人口減少のほかに観光客が少ないとか、魅力度ランキングが低いというのがよく知事選の時に耳にしたと思うんですけど、その辺りはどういうふうにお感じになっていますか。

(知事)
 これも何度もお答えはしていますけどね。観光客が少ないわけじゃないんです。宿泊者数が少ないということで。だからこれは前回の時にも少し申し上げているように、結局はキャパの問題と稼働率の問題なんですね。だからこのキャパが少ない中で、それは当然、数が少ない、宿泊者数がね。ただ稼働率は徳島、だから高いんですよ。じゃあ、キャパが少なきゃ増やしゃいいじゃないかと。奈良県のようにマリオットね、世界超一流のホテルを誘致していると。ただ、そこが入ってきたと仮にした。これは県の中でも皆、考えていますよね。そうすると既存のホテル、旅館がつぶれちゃうのね。例えば稼働率が、もう本当に全国でもトップということであれば、少しキャパを増やしてもいいんじゃない、掛け算になるのでね。ただ、少し稼働率が落ちるかもしれないけど、全体の底上げになるんじゃないの。これはあると思うんですけどね。だからまずは今ある、頑張ってくれているホテル、旅館、こうしたところにより対抗力を持ってもらうという意味でさまざまな助成制度。例えばホテルに備品をいろいろ入れてみるとか、あるいはお手洗いを、ぼっとんトイレからちゃんと、いわゆる洋式、そしてウォシュレットとか、ああしたものが使えるとか。あるいは皆さん方が憩える場所というものを作るとか。そうしたものの改造経費、こうしたものも助成として出させていただいた。いやいや、ホテルを丸ごと建て替えようと、こうした場合の融資制度。こうしたものも作らせていただいた。そのうち、この官公庁もそれを作るようになったということですので、これからなんだと思うんですね。ようやくさまざまな形で、コロナも明けたことですし。そうすると、まあまあ、じゃあ、マチアソビ、2日間だったって4万3,000人なんですよ。3日間で、コロナ前は8万3,000人入っていましたのでね。そういった形で、これからハード、ソフトがともにかみ合うことによって、結果として宿泊者数が増えると。本当は稼働率の勝負というのがあったっていいはずなんですよね。だから、どうしてもその宿泊者数というものを常に取って計ってしまう。だから、もう一つはその魅力度ランキング。これももう既に申し上げているとおりの話ですけどね。やはり前回、それぞれの都道府県民の人たちが自分のところをどう思うかというところの点ということでね。だから、まずはそれぞれの県が自分のところをしっかりとわかっていただいて、そしてその魅力をどんどん発信してもらうと。どうしても奥ゆかし過ぎて、「徳島、どこかいいとこある」、「うーん」と、こうなると「あ、ないんですか」と言われちゃう。「まあ、そうやね」と、こう言っちゃったらないということになるのでね。それで、実は徳島県民の人が徳島をという、そういったランキングは全国最下位だった。でも徳島全体は41位ということであれば、他県の人は徳島を30位台前半で評価してくれているということになるわけなので、是非そうした点、もっともっとね。いや、内面は徳島の皆さんも思っているんですよ、徳島が一番だと。ただ、何かこう外に出して言うというのが恥ずかしいと。これ、よく昔、瀬戸内寂聴さんに話した時に、「徳島の県民性は恥ずかしい」と、こうよく言われていましたけどね。だから、そこを払拭してもう少し自慢すると。「うち、こんないいんだ」、これをやっていただくと、あっという間に魅力度ランキングは高くなると思います。他県はだって高いんですもん。

(読売新聞社)
 あと、その国際便が全然ないという話もよく上がっていましたけど、その辺りはもう課題ではないという。

(知事)
 いや、全然ないわけじゃなくて、コロナで止まってしまったと。香港はもうほぼキャセイ・ドラゴン、こちらが定期便になるところだったんですよ。現に、だから私も香港に行きましたけどね。そういうことになる予定のところ、「え、コロナになっちゃった」って。ということで、全部ストップした。そう、ないわけじゃない。ということで台湾、これも同時に進めていたので、これはその前に台湾、連続チャーター。大抵はチャーターが始まって、連続チャーターとなって、それから今度は定期便になっていくと、こういう手順ということですから。香港はもうかつてそうなっていた。ただ、香港はその後、今度は国としての体制がまた様々変わるということが、これ、あって、そうした意味で今、台湾ということでやってきたんですね。ただ、これからは「大阪・関西万博」、で、徳島はパビリオンを出す。メンバーの一つだということはどんどんPR、3月には東京MXテレビを使ったり、「FRaU」を使ってPRをしてきているわけなので、それはもう自動的にいろんなところからオファーが来るのではないかというふうには思っています。

(朝日新聞社)
 心なしか、いつもより軽やかにお話しされているように思うんですけど、やはり20年着てきた知事の鎧を脱ぐというか、肩の荷を下ろすんだなというような感覚というのは、今、お持ちなんでしょうか。どうなんでしょう。

(知事)
 いや、それが一番でしょうね。いや、これまでだから本当にじっくり寝るということはほとんどなかったですよね、20年間。だって地震って夜中に起こることもあるし、特に全国知事会長の時は、徳島が大丈夫でも他所で何かあった時に、知事さんから電話があった時、「何ですか」って言ったら終わりなんでね。「今、こうで大変だよね」、これが重要なわけでね。だから、そういった意味ではなかなか寝ることもできない。そして、緊張といった点はもっともっとね。例えば、リラックスしているように見えるんだけど、何かあったらすぐ駆けつけなきゃならない。その時に、じゃあ、マスコミの人がいて「これ、どうするんですか」と聞かれた時に、「いや、まだ何も話を聞いていない。聞いてからにします」なんて言ったら、マスコミの人たちは書くわね。「何を考えているんだ」って書かれちゃうから。そうした場合にも「いや、これはこうだ」ということをお答えしなきゃいけないし、その時にペーパーを読むというわけにはいかないわけだから。その緊張感というのは、これはやはりなった人でないとなかなかわからないなと。私も知事さん方にいろんなところでお仕えしましたけどね。自分がなってみたら本当に大変だなって。だから、そういう点についても、まだ全部下ろしたわけじゃないですよ。さっきご質問があったように、まだ明日がありますし。最近、やたら地震が多い。これも危ないんですけどね。能登半島からぐるっと2周、今、日本列島をしているわけだから。いつ何時、首都直下、南海トラフが来るかもわからない。その時には、明日は当然、防災服を着なければならないのでね。ということだから、完全に緊張感が解けたわけではないわけなんですが、かなり、そうした点については、もうあと、今日を入れて2日になったな、というところは確かにあるけど、今、聞かれたら少し軽やかに答えているけど、本当はそこも言っちゃいけない。だから、知事としてなかなか、言っちゃいけないというのが多々あるんですよ。だからよく言うんだけど、もう舌は血豆がたくさんできる。言葉に出したら終わりなので。言って、「いかん」と思った時に舌を噛むのね。そうしたら言葉にならないから。「うっ」て、こうね、これも重要。言葉を出してしまうともう撤回というのは難しい。確かに撤回といやね、よく言うんだけど、なかなか難しいですよね。だから。それも知事がゆえの大変さというのがありますのでね。それからもあと2日で解放されますから。そこを軽やかだと見抜かれところはちょっとまだまだ未熟かもしれないですね。

(幹事社・四国放送)
 よろしいですか。じゃあ、ありがとうございました。

(知事)
 それでは、皆さん方もそれぞれ代は変わってこられたわけでありますが、本当に20年間、お世話になりました。ありがとうございました。皆さん方もこれから大いに頑張ってください。それじゃあ、お世話になりました。ありがとうございました。

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