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平成29年12月28日 年末(臨時)記者会見 項目別

今年1年を振り返って(説明)

(幹事社:司会)
 それでは今年最後の会見になります。よろしくお願いします。

(知事)
 はい、こちらこそ。
 まずは皆様方には1年間、本当にお世話になりました。
 心から御礼を申し上げたいと思います。
 まず大抵は1年間をこう振り返る場合に、その年の世相として干支の話、このように申し上げて参りました。
 1月の最初の新年の会見の時、今年の干支「丁酉」ということで、まさに様々な価値観、こうしたものがどんどん動き出してきた。そして、「歴史の転換点になる」このように申し上げたところでありました。
 世界、あるいは日本の国内、大きな歴史の転換点、このようになったんではないか、おそらく後世を振り返った時にはなるんではないか、このように思っております。

 そうした中、じゃあ徳島はどんな感じだったのか、この点について少し私の思いも込めてお話を申し上げていきたいと思います。
 様々今年、いいことも悪いこともあったわけではありますが、やはり、マスコミの皆さん方の関心、あるいは県議会、県民の皆さんということであれば、この「とくしま記念オーケストラ」の問題、これを外すことはできないんではないか、このように思っております。ということで、このお話を申し上げていきたいと思います。

 実は、「とくしま記念オーケストラ」、どうしてこれを作るようになってきたのか、その経緯について少し掘り下げてお話を申し上げていきたいと思います。
 私の、自分の個人的なところから入りたいと思います。
 まずは子供の頃、まだ小学校の2年生ぐらいの時ですね。親から2枚のレコード、まだその当時はステレオなんていうのは多くの家庭にはなかった。プレイヤーっていうね、そこでプレーヤーだけじゃ意味がないので、レコードを2枚買ってもらいました、ていうか付いてきたのかもしれないですね。
 その1枚、これはオーケストラのものでした。言うまでもなくその1枚、表側にはベートーヴェンの第九、その第4楽章、こちらがしたためてあったんですね。
 そして反対側はシューベルトの「未完成」ですね。これが当時流行っていたのかもしれませんね。これもまずは第九というイメージ、その頃から持ったということです。
 そして、もう一枚はこれはピアノ名曲全集ということで、よく色々なコマーシャルなどでも聞く、そうした曲がしたためてありました。
 これを聞いた時にやっぱり思ったんですね。いやぁ、「音楽っていいな」みたいな感じですね。ということで、すぐさま親に「ピアノを習わせてくれ」と。
 当時、男の子がピアノを習う、自分から言うっていうのは非常に珍しいですし、私も野球だとかサッカーだとか、そっちの中心選手でしたんでね、でもそれを聴いた時にこうビビッときたというかね、まあそうしたことで「ピアノを習わせてくれ」と自分から申し出た。親も普通だったらびっくりするところなんでしょうけどね、「わかった。やりたいんだったら」と。
 ただ、ピアノを買うといっても、当時はそう簡単にできなかったんですね。アップライトと言えどもこちらは実は月賦で買い、しかも頼んでから注文で作るんで、半年間待たされる。でもその間に習いに行かなければなりませんから、当然ご近所に行って通いでピアノの稽古をよその家ですると。しかし、そうした形でもピアノをやっていこうというふう
にしたんですね。もちろん、発表会などでの演奏っていうのもありました。
 しかし、中学受験、これによって、結局はレッスンを断念することになるんですね。
 その後、高校も受験となりますから、独学でピアノをやる。ようやく再びレッスンにつくことができるのが、大学時代と。
 そして大学はもちろん、弓道、本ちゃんの運動家をやるとともにピアノのサークルに入らさせていただきましてね、ただここのサークルっていうのはほとんどプロ級の人達。
東京芸大に行ってもいいんだけど、「まあ、東大の方が良いかな」なんていう人達がたくさんいて、いろんなコンクールで西日本で優勝したとか、全国の準優勝とか、そんな人ばっかりだったんですね。
 でも、そうした中にもやっぱり、しっかりやっていこうということで、ある分野を絞ってやっていく。そして、春、秋の学園祭での演奏、あるいは卒業演奏会こうしたものに臨む。ということでピアノについてもかなりのめり込んでやった大学時代ということでもありました。

 こうした中で、旧自治省に入省することとなります。今の総務省ですね。
 その時はマスコミの皆さん方から珍しい経歴だ、ということで紹介もしていただいたところでありましてね、そうした意味もありまして、自分が役人になった初心として、自分が子供の時代にビビッと感じたものですから、子供さんから国民の皆さん広くこの生活を豊かにしていく、そのためにはクラシックをはじめとする「音楽文化」、これは大変重要なもんじゃないだろうか、当時は地方ではなかなかね、生演奏も聴けない時代でありましたんで、これをなんとか全国に広めていくことができれば、これが私が役人になった実は初心の大きな一つとなったんですね。
 しかし、現実はそんなに甘いもんではないんですね。当時、地方勤務、これを行うにあたってそういう話をしたら、頭ごなしに言われたことが2つ。「芸術文化に手を出すな」、「芸術文化は票にならん」。こうしたことで、施策として企画立案をすることも一切許されない。こうした時代だったんですね。
 しかし、この状況が大きく変わるのが昭和63年です。竹下さんが総理となり、「ふるさと創生だ」ということで、一億円の事業。また、地総債っていうね、こういう起債を行うことによって箱ものを作りやすくする、ということで、地方に次々と例えば中新田のバッハホールとかね、突然田んぼの中に立派なホールができるという、立派なホールが次々と誕生することになります。
 しかし、これも長く続かなかったんですね。つまり、ハードが優先をしてしまって、そこで一体何を演じていくのか。つまり、ソフトが全く追いついてこない状況となり、結果として全国で「税金の無駄遣いだ」、このように言われることとなり、そして行政の芸術文化振興の熱、一気に下火となりました。
 しかし、当時は経済がどんどん上向いていこうと、バブル時代ということもありまして、芸術文化振興については企業メセナという形で引き継がれることになります。
 しかしこちらも平成5年から始まりました、「バブル崩壊」これによって結局下火となるだけではなくて、そこからよく言われる、「失われた10年」日本は突入することになります。

 そして、足していただくとね、ちょうど平成15年ということになるわけでありますが、この年、私は徳島県の知事に就任をさせていただきました。
 当時の徳島、今ではそういうことを言う人は本当にいなくなった徳島なんですが、「文化不毛の地」、「文化果つる地」このように揶揄をされていたんですね。
 私からすると「阿波藍」、その富で育んだ「阿波おどり」、「阿波人形浄瑠璃」、「ベートーヴェン「第九」アジア初演の地」、どうしてこの徳島がそうした揶揄をされるのか、文化の宝庫ではないか、このように不思議でならなかったんですね。
 そして、国民文化祭が決まっていた平成19年、それを前にして平成17年にその機運を盛り上げていこうと「徳島県文化振興条例」こちらを制定をさせていただき、平成19年の第一回目の国民文化祭、こちらで「あわ文化・4大モチーフ」にこれらを据えたんですね。
 そして、成功裏に終えると、多くの皆さん方が「文化不毛の地と言ったのはいったい誰なんだ」それどころか、「この盛り上がりを一過性に終わらせてはいけない。これをどんどん伸ばしていく必要があるんではないか」というお声をいただいたものですから、当然、「我が意を得たり」ということで、この4大モチーフをそれぞれテーマとして、例えば藍であれば「藍千」とか、阿波おどりであれば「萬の民の阿波おどり」、「萬」ですよね。「百、千、萬」ていうような形。第九は始まりの第九「一」っていう形でね、こうした形で毎年テーマを定めて行なっていく。そのためには、その推進エンジンが必要であるだろうということで「文化立県とくしま推進基金」こちらを造成することにしたんですね。これがちょうど国民文化祭の翌年となる平成20年4月となります。
 こうした中、徳島のこの動きを察知をしていただいたのか、また、京都府の次だからなり手がなかった、こうしたものがあったのか、文化庁の方から「全国初2度目の国民文化祭を徳島でやってみないか」こうしたお声をいただきました。
 しかし、専門家の皆さん方にご相談をする中で「これはやめた方が良い」と、「1回目はビギナーズラックという言葉もある、ところが2度目はそれはないよ。2度目は大変なんだ、難しい。しかも日本の文化の中心京都で国民文化祭をやった翌年、誰も手を挙げないことでも分かるようにこれは至難のわざだ、返上した方が良い。」こうしたお話があったんですね。
 しかし、やはりこの4大モチーフをここまでやって、そして、「文化不毛の地」と不名誉な、こうしたことから逆にあわ文化を発信をしていこうとこうなったために、ここからは逆に「徳島ならでは」の文化に対してのアプローチ、こちらを模索をすることとなりました。
 そこで、ベートーヴェン「第九」アジア初演の地でもあり、そう遠くなく、100周年を迎えてくることがターゲットと入っていた。当時、プロのオーケストラにつきましてはその運営となる収入面、あるいは事業展開、あるいは運営コスト、こうした点でなかなか見合いが難しい、こうした意味で「東京以外でプロのオーケストラを持つのは難しいんだ」このように言われていた。しかしこうした中で、新たなチャレンジとして、常設ではなく徳島の旗のもとに馳せ参じてもらうプロのオーケストラであれば可能じゃないだろうか。特にこのコストの面を抑える。こうした点を考えたところであります。

 しかしこのままでは「寄せ集め」、「どさ回り」、こうした言葉をすぐ東京の皆さん方からレッテルを貼られてしまうということで、その求心力が必要だ。文化功労者に、その後なられる秋山先生、世界的なマエストロでありますが、ご相談を申し上げ、音楽監督にご就任をご快諾いただいたんですね。
 これによって地方でもレベルの高い演奏が聴ける徳島方式、こちらにチャレンジをすることとなりました。
 その結果、平成24 年12 月の二度目の国民文化祭の閉幕式で、文化庁を代表してお越しをいただいた三浦朱門先生から、「文化の救世主・徳島」という大変ありがたいお言葉をいただくとともに、私の方からもご挨拶の中で、「日本文化の代名詞はあわ文化だ。」、あわ文化を世界へ発信をしていく決意を、多くの皆さん方の前でご披露をさせていただき、そしてこの出来上がった「とくしま記念オーケストラ」をベースとして、工夫を凝らした企画、こちらを展開をし、楽団員の皆様方にも、「東京よりも徳島で演奏する方が興味深いよ、楽しいよ。また、徳島を盛り上げていくことに、ぜひ協力をしたい。」、こうした思いを持っていただくことに至ることとなりました。
 従来は、徳島を始め地方では一流の優れた生の演奏を聴くことは、東京や大阪にわざわざ旅費をかけて行かなければなかなか難しい。県都徳島こちらはもとより県内各地でこうしたものに触れる機会を提供をしていくとともに、アウトリーチ事業として、プロの楽団員の皆様方が地域に出向いて、地元の学生や県内音楽関係団体に対しまして、合唱であるとか、あるいは吹奏楽、またオーケストレーションなど、演奏指導を直接行なっていただき、共演もする。また、ミニコンサートも開催をしていただく。こうした展開もなされて参りました。
 また、当時教員の皆様方のOB、OGの皆さん方が会員制として行っておられたニューイヤー、こちらを一般の県民の皆さん方にも広くご参加をいただく、県が実施するニューイヤーコンサートとして、また幅広い年代の皆さん方にクラシックを身近に、しかもフランクに聴いていただこうということで、入門コンサートこうしたものを行いました。
 特にこの入門コンサートでは、当初演奏会の時、普通は小学校の低学年とか小学生はお断り、東京大阪などではそうしたコンサートが多くあるわけでありますが、そうではなくて小学校の皆さん方には是非来ていただこう。でもやっぱり演奏会の最中には走り回ってみたり動いたり、それは大変な時もありました。しかし、楽団員の皆さん方にも、逆にそうした皆さん方、子どもさんのうちからしっかりと音楽に接してもらうそれはクラシックの裾野、これを広げていく絶好の機会じゃないだろうか。ご協力を多くいただいたところでもあります。
 そしてこの子供さん達も入門コンサート、回を経るごとに音楽文化、その振興というだけではなくて、芸術、舞台、舞台芸術の鑑賞マナー、こうした点にも大いに役立った。文化立県徳島、その音楽文化向上の裾野の拡大ということで、多くの成果をあげたんではないか、このように思ってきたところであります。

 こうした背景のもと、設立をした「とくしま記念オーケストラ」でありますが、今年、県議会をはじめ県民の皆様方から大変厳しいご指摘とご心配をいただいてきたところであります。まずは、この楽団の調整役を担っていただいておりました川岸氏が法人税法違反などの罪に問われ、そして起訴されるに至り、昨日初公判で起訴内容を認めたことであります。
 国民の義務である納税を怠る、こちらについては決して許されることではなく、結果的にこのような方を政策参与に任命をし、大きな信用を与えてしまったこと、このことに対してはまさに責任を痛感しているところであります。

 また、二度目の国民文化祭この後に急速に「記念オケ」その事業費が伸びたことが指摘をされて参りました。
 音楽文化の裾野、こちらを広げる、拡大をする、その意味。また、「第九のアジア初演100周年」こちらに向けて「ホップ・ステップ・ジャンプ」と、全国から、そして海外からも多くの合唱団に徳島に訪れていただき「第九の聖地・徳島」を国内外にアピールをする絶好の機会、このように考えたところでありました。
 また、新たなチャレンジとして、例えば今では普通に言われるようになった「カルチュアル・オリンピアード」その理念にも通じるスポーツと文化の融合。四国初徳島ヴォルティスのJ1ホーム開幕戦の記念演奏。
 こちらは選手が入場をするその前に、その雰囲気をホームゲームとして盛り上げようと、サポーターの皆さん方が第九をハミングされるんですね。これにもやはりJ1、四国初ということもありますのでこちらを生演奏でやってみてはどうだろうか、新たな試みでありました。
 また、平成26年5月に開催をした「みどりの愛護のつどい」におきましては、国土交通大臣から「レベルの高い本格的なオーケストラの演奏がまさか徳島で聴けるとは思わなかった」、こうしたお言葉もいただきました。
 さらには「阿波藍」、「LED」、「四国三郎吉野川」、こちら徳島が誇る「青」、これをテーマとした阿波市「アエルワホール」で開催を、平成27年10月に行いました、大容量のデジタル、これが必要となるプロジェクションマッピング。また、高精細のアナログ情報である「プロのオーケストラの生演奏」この融合という、シンクロさせるというのは技術的に大変難しい。
 私も郵政省時代からこれらにチャレンジをして参りましたが一度として成功しなかった。もちろん日本全国でもこれにチャレンジをしたんですが、難しかった。
 それをアエルワホールから全国大会、これが行われていた「アスティとくしま」へ4K、スーパーハイビジョンで伝送するという日本初の試み体感型のコンサート「青のシンフォニー」、これを行い、その11月の国際放送機器展、幕張メッセの「InterBEE」では海外の皆さん方からも評価をいただいたところであります。
 しかし、結果的にはクラシックに偏重しすぎていると、多くのご批判をいただいたところでもありました。

 さらに「文化立県とくしま推進基金」について、こちらは原資がちょうど民主党の、国の様々な業務仕分けということで、宝くじの売り上げ収入、これを国の方で、各外郭のそれぞれの団体の方から、それぞれの事業に応じて地方の方に手挙げ方式で配る、こうした形をとっておりましたが、これを都道府県の方に直入したらどうだろうか。
 これを受けて、この「文化立県とくしま推進基金」これを造成をすることにもなるわけでありますが、原資が税金ではなくこうした宝くじの収入であり、また先ほど申し上げた平成17年に制定をした徳島県文化振興条例に根拠があるとはいえ、外郭団体にこれらを造成をし、そして毎年取り崩し型、確かに金利が上がらない運用では難しいということが背景にありましたが、取崩して事業を行うという手法が結果として議会のチェックをはじめ、事業の透明性を低下をさせたという多くのご指摘を、県議会を中心にいただいたところであります。

 こうした形で、県議会をはじめ県民の皆様方に大変なご心配、あるいはご疑念を抱かしたことに対しては心から反省をするとともに、心からお詫びを申し上げたいと思います。
 本当に申し訳なかったと思っております。
<起立し、頭を下げる>

 そこで、来年に向けての話であります。
 これまで県議会をはじめ多くの皆様方からいただいたご意見、ご提言を踏まえまして、3 年計画で「ホップ・ステップ・ジャンプ」で進めて参りました、「第九」のアジア初演もいよいよ来年の2月12日、メモリアルコンサートを行うこととなり、「第九の聖地・徳島」を国内外に発信をするとともに、クラシックのみならず、「阿波踊り」や「阿波人形浄瑠璃」で必要とされる、これは、江戸時代から育んできた邦楽でありますし、また2月、8月と何と30年にも渡り、ジャズストリートを展開するとともに、横浜、神戸とともに、日本三大ジャズメッカとも評されるジャズ。「あわ三大音楽」に更に磨きをかけ、学生やアマチュア音楽家の皆様方など、県民の皆様方自らが能動的に活躍をしていただく場の提供・設営、これらをはじめとする県民主役の事業展開を図ってまいりたい、このように考えてるところであります。
 また、「文化立県とくしま推進基金」につきましては「スポーツ王国とくしま推進基金」とともに今年度で廃止をさせていただきまして、より透明性の高い条例による基金を創設をして、「カルチュアル・オリンピアード」「東京オリンピック・パラリンピック」、ここをターゲットとするだけではなく、その後のレガシーとしてしっかりとした事業展開ができる形にしていければと考えております。
 今後、予算決算のご審議など県議会のチェックをしっかりといただきながら、世界最大の文化・スポーツの祭典である、2020年東京オリンピック・パラリンピックをはじめ来年から4年連続で、もっと言うと今年を加えると5年連続で徳島が開催地であったり、あるいはキャンプ地となる国際スポーツ大会これをしっかりと見据え、県民の皆様方とともに、徳島発の文化・スポーツのレガシーをしっかりと創出をしてまいりたいと考えております。
 私の方からは以上です。どうぞよろしくお願いをいたします。