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徳島県徳島市万代町1丁目1番地
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(事務局)
ただ今から、防災絵本「よりたかく よりはやく」の発刊及びデジタルコンテンツ化について、共同会見を始めさせていただきます。
まず、本日の会見者を紹介させていただきます。
絵本作家の梅田俊作(うめだ しゅんさく)さんです。
徳島文理大学メディアデザイン学科 篠原靖典(しのはらやすのり)教授です。
飯泉知事 です。
以上の皆さんから発表をさせていただきます。それでは、まず「飯泉知事」から発表をお願いします。
(知事)
本日、絵本作家であり、また、南部津波減災対策推進会議の委員もお務めいただいております梅田俊作(うめだ しゅんさく)さんに、制作をお願いしておりました防災絵本「よりたかく よりはやく」が発刊の運びとなりました。(絵本を掲げながら)
県におきましては、言うまでもなく南海トラフの巨大地震によります大津波に備えていこうということで、現場目線での先進的な津波減災対策について、地域の総力を結集した、南部津波減災対策推進会議を設置いたしまして、実践的な津波減災対策となります津波減災県南モデルを検討、そして実施も行っているところであります。
なかでも、昨年の「3・11」東日本大震災におきまして、釜石市の小・中学生の皆さん、また地域住民の皆さん方の率先避難行動が多くの命を救ったんだということで、「いのちを守る津波減災教育」の重要性が再認識をされ、より一層の取組みが、今まさに求められているところであります。
そこで、美波町在住で、全国的にも著名な絵本作家であられます梅田俊作先生に、親子で津波避難について考える契機となります、防災絵本の制作を先生にお願いをするところとなったところでありまして、まずこのご提案を申し上げましたところ、梅田先生の方からはご快諾いただけた。これがきっかけとなり、このたび完成の運びとなったものであります。
この絵本につきましては、避難訓練をはじめとする「津波を迎え撃つんだ」という備えの重要性や、日本人に一番足りないと言われていた家族・地域の絆の大切さが、やさしいタッチ、また筆づかいによりまして、わかりやすい言葉で表現をされておりまして、子どもたちの明るい未来を願う梅田さんの熱い思いが込められた作品になっております。梅田先生に対しましては、深く感謝を申し上げるところでありまして、本当にありがとうございました。
続きまして、この絵本をただ紙媒体というだけではもったいないし、まだまだ広がる余地がたくさんあるんではないか。「デジタルコンテンツ化」に対しての取組みについてであります。この取組みについては、梅田さんと同じく、(南部津波減災対策)推進会議のメンバーにご就任いただいております徳島文理大学の篠原靖典(しのはら やすのり)教授と学生の皆さん方が、梅田先生とタッグを組んでいただきまして、映像化、また今流行の電子書籍化を行っていただくことによりまして、より広く、また、幅広い年代層に対して情報発信を行っていき、さらなる防災意識の向上に役立てようというものであります。
篠原先生におかれましては、これまでも絵本の映像化、また貴重な絵画のデジタルアーカイブ化に成果を大変残しておられまして、今回の取組みについても、大変先進的なものであると楽しみにしているところであります。
梅田さんの絵本に込られめた思いを、県民の皆さんはもとより、全国の、できれば世界の多くの皆さん方にも伝えることによりまして、家庭での防災意識の向上、また、将来における地域防災の担い手育成に、大いに繋がっていくんではないかと期待をしているところであります。
最後に、本日、お昼の12時15分でありますが、県庁1階の県民ホールにおきまして、「よりたかく よりはやく」の発刊を記念をさせていただきまして、梅田俊作先生、そして佳子(よしこ)ご夫妻によります朗読会を開催したい、こちらの方も皆様方にはよろしくお願いをいたしたいと思います。私の方からは以上です。
(事務局)
ありがとうございました。それでは、梅田さんから絵本の内容などについてよろしくお願いいたします。
(梅田俊作氏)
防災委員の方から最初に子どもを動かせば、じいちゃん、ばあちゃん、家族も動くであろうという、地域によっては、僕もその部類に近いんですけど、「もう、十分生きたからいいや」みたいなのがね、どっかにあるともっと不幸が広がるっていうので、そこで最初にピンッときまして、僕も前期高齢者になりまして、かみさんの言うことはどっこかで大事なことも「ふんふん」と右から左に流れるような聞き方をしているんだけど、孫が言うとどんな無理難題もスッと、こう腰が浮くところがあって、そこで孫を、子どもを主人公にしようってことで始まりまして。話を頂いたときには、ちょうど福島(県)の大地震、大津波のことに関した絵本を書き終わった後だったもので、僕としてはスッとこう、そのままの心意気で入っていけた気がしまして。で、先程言いましたように、これはもう、子ども達を主人公にして、僕のように孫の言うこと、子どもの言うことなら、フッと腰が軽くなるかもしれない、思いを込めて作りました。ある年齢になると、どっかでもう腹をくくっちゃうところがあるんだけど、今度の3.11(東日本大震災)でもその後で色んなニュースが出ましたけど、向こうにやむを得ず逝く方は構わないのね、僕のようなじいさんが。でも、遺された方は一生重荷を背負うわけだね。あの時どうして、もっと頑張ってじいちゃん助けられなかったか、とか。あの時に、座り込んだのを無理に引っ叩いてでもおんぶしてでも生き延びさせたかった。たぶん、そういう思いがいっぱいある。そういうのもこの中に、物語の中に込めることが出来たかなぁっていう気がしています。以上こんなところです。
(事務局)
ありがとうございました。続きまして、篠原先生から絵本のデジタルコンテンツ化についてお話をいただきます。
(篠原靖典氏)
今回、防災絵本の電子書籍化を担当させていただきます。今、考えております電子書籍は、2種類ありまして、一つは実際の絵本をこういう風にページをめくりながら、読めるような従来型のオーソドックスな電子書籍を一つ考えております。もう一つは、動きにナレーションとか効果音を付けたような、アニメーションのような作品を考えております。実際にどんなものか、試しにちょっと作ってみたものがありますので、ご覧いただいて。今からお見せします。
まず、一つがですね、こういう電子端末で(電子端末を見せながら)、こう指でなぞりながら、自分のペースで見ていけるという。(スクリーンに投影しながら)拡大なんかもできるし、縮小等もできると。これを例えば、ちょっと字が小さければ拡大もできるんですけど、縦に持っていくと、1ページごとのこういう動きの、本当の本を携帯端末で読むような形のオーソドックスな電子書籍ですね、これが一つになります。横にするとこういう見開きになります。
それと、もう一つはさっき言った動きのあるものになるんですけど。ここまでしか、まだ出来ていないんですけど。続きはまた、学生と一緒に考えようと思います。今ここで見ていただいたのも、梅田先生に初めてお見せしたところになります。色々ご意見いただきながら、学生と一緒によりよいものを作っていきたいなと考えております。私の方からは以上です。
(事務局)
ありがとうございました。発表は以上です。これより幹事社さんの進行で質疑をお受けいたします。幹事社さんどうぞよろしくお願いいたします。
(幹事社:司会)
それでは、質問のある方は、よろしくお願いします。
(時事通信社)
実際に売り出される時期であるとか、値段とかそういったものは、どういう風に考えているんでしょうか。
(事務局)
今回300部を発刊する予定にしてございます。それを、県の方でさせていただきまして、南部地域の小学校、幼稚園、保育所等に、一応配付するということで今準備を進めています。
(知事)
ということで、それ以外の所について、まあ300部ですからね、なかなか無い、でも求めたいといった場合に対しては、一つは、これを見ていただくとおわかりのように、紙芝居形式にすると分かりやすいかなということでそうしたもののキャラバンじゃありませんけどね、訪問してやろうということも一つありますし。電子書籍の方は、今、篠原先生にやっていただいているように、大体、来年の年明け1月くらいには出来上がる目途になっていますので、そうすると今度は、色々な形で電子媒体として活用が出来るという形で。どちらかと言うと今の段階では、売るというよりも、どんどん配付をしたり、PRに使っていこうと。
(四国放送)
いつから作り始めて、完成はどれくらいの日数がかかったのでしょうか。
(梅田俊作氏)
始めにお話をいただいたのが5月で、それで2度目にいらしたのが一月足らずでいらしたので、本気だなって。色々とね、東北の大地震とかあれで、何もかも遅れているいうのが僕の頭の中で何となく渦巻いているのが常識みたいになっていたところへ、矢継ぎ早にいらして、いらした方が本当に真剣な御相談だったのと、僕も元々これは、ちょっとほっとけないなと津波がいつくるか分からないんだけど、その地元にいてそこからの発信ってことは自分なりに薄々は感じてたんです。ただ、こういう形で実現するとは思わなかったもので、僕としてはありがたい企画だなっていうので、ほぼ始めの話があって二度目にお会いする時には、もう骨格はできていたんです。しばらく東京に帰っているうちに、孫ができたもので孫遊びしていると、いっぱいしている時にね、この子らが取られるということは目の前にあることなんだなっていうような思いがあって、それから制作に入ったのがすぐでした。やってたのをちょっと中断しまして、とにかく今度の仕事はいつ締切がくるのか分からないもんでね、こう描いてる最中に(地震が)来ても不思議じゃないし、本気でそんな気になりましてね。焦ってはいないんだけど、出来るだけ早くっていう気持ちで、3カ月足らずかな。アイデアから、後、物語が出来てから下書きとか色んなのが始まりましてね。大体3カ月くらいだったと思います。
(四国放送)
5月に県当局から話があって、大体3カ月くらいで、描き上げるまでに、3カ月足らずだったと。8月くらいには大体出来ていたということでよろしいんでしょうか。
(梅田俊作氏)
9月に入ったのかな、どうでした脇田さん。僕もう忘れちゃった。もう、何か頭が飛んでてね、制作に入ると。いつもは、1年ぐらいから2年掛かるんだけど、今度は色んな偶然が重なって、そのまま自分の思ってることへこう入っていけたから、自分でも驚いているんだけど。こんなに早くできちゃったなんて。
ただ、できたからってこれが終わりじゃなくて、僕はこれが始まりだと思っているんです。叩き台としてね。(篠原)先生のお力借りたり。かみさんも僕も前期高齢者に入ったもので、できるだけ各地を歩いて、これを読み語り、さっき知事のおっしゃったように紙芝居の形とか色んな形で原画展も開きながら、風化しないように、出来るだけ風化しないように、長くこれを叩き台として活かしていきたいなと、そんな風な思いで、今います。声をかけてください。俺の所にも来いっていう所がありましたら。じじ、ばばで出かけていきますから。
(朝日新聞社)
梅田先生、今日は、初めてデジタルコンテンツで見られたと思うんですが、見られての感想を頂けますか。
(梅田俊作氏)
すごく真面目にやっていただいてるんで、もっとこう、先生もおっしゃっていたけどさっき、もっと遊びますと。どんどん、僕は別物として考えていただいた方がいいと思うんです。絵本は絵本で、あくまでも叩き台で。そこに先生達の、あるいは学生さん達のこうやった方がもっと面白いっていう言い方は語弊があるかも知れないけど、避難そのものが僕は現場をずっと津波から生き延びた方達のお話を聞いて歩くうちに、根本に遊び心があったなあっていうのに、僕もこれ作る最初そうだったんです。避難訓練って言うとなんだか堅苦しいんだけど、毎日のくらしの中にある遊びとして、生活の一部として取り込んだ時にいざっていう時のそれが表に出てくるんだなっていうのが自分でも考えているもので。だから、たぶん先生のもこれから、それを配慮なさって、「えっ、これがあのテレビ版の原作」って僕が驚くぐらいのことをやっていただけるのだろうなと楽しみにしています。
(読売新聞社)
これ、読ませていただいて、その随所にこう徳島弁と言いますか、そういうのも混ざっていて、たぶんこう、県南の子ども達にとってとても親しみやすい物だと思うんですけれども、梅田さんとして工夫された点を教えていただけますか。
(梅田俊作氏)
一番燃えた所っていうのは、いつその中心地になるかもしれない徳島っていうところの、で、僕今日和佐にいるんですけど、あそこはものすごい津波が襲ってくると。その現場からの発信っていう、徳島からの発信っていうことで、出版社も印刷も皆ここからやったってことが意義があると思いまして、言葉もまるっきりの徳島弁では無いんですね。僕としてはゆくゆくは、千2、3百万部はいくんだろうなと考えて、ぐらいの勢いで。
日本の、僕らどこにいても地震列島にいるわけでね。必須科目なことなんですよ、これは。そうしたら徳島弁だなあっていうのは、できるだけ抑えながら、でも徳島だなあっていうあたりを、ニュアンスって言うのかな、それをスタッフの人達からもご意見伺いながら進めました。
(読売新聞社)
この舞台は美波町でいいんでしょうか。
(梅田俊作氏)
いえ、違います。
(読売新聞社)
どこなんですか。
(梅田俊作氏)
美波町とおっしゃってくださっている方もいれば、「いや、これは海南だ」とおっしゃってくださる人もいますし、「いや、牟岐だ」っていう。それが、僕の狙いだったんです。ここだっていう限定じゃなくて、とにかく津波が今までにないようなものが襲ってくる。その、どこにきても不思議じゃない。というところでの緊張感はおきたかったのね。
ちなみにこのタイトルは「よりはやく よりたかく」だったんです。ところが、NHK愛媛から、僕はもう一月前に決めていたのに、二月後かに、テレビ番組で、NHKさんが流して、一時は困り果てて、スタッフの人と、どうしようって、「いや、もともと梅田さんが書いたのが早いんだから、ひっくり返そう」というので、タイトルを「よりたかく よりはやく」になって。
(朝日新聞社)
これの発刊というか、配付っていうのはいつからになるんですか。
(事務局)
大体完成いたしましたので、近日中に、来週くらい、今週にでも配付を開始したいと考えています。一応阿南市、海部郡三町にですね配付を予定しています。大体100箇所くらいの、小学校、幼稚園、保育所ですね。
(朝日新聞社)
100箇所に300部配るという意味ですか。
(事務局)
平均すると、1つの学校に3部くらいになるんですけど。生徒さんの(数の)大小ございますので、だいたい1クラス1冊程度、置けるように調整したいと考えております。学校の図書室、教室の学級文庫みたいなところに置いていただいて、持ち帰って、そういうことを予定しています。
(朝日新聞社)
これは南部以外で読みたいという方はどこに連絡すればいただけるんですか。他の地域、配付される場所以外で読みたいという方がいらっしゃったらどちらかに連絡させていただければ、いただけるんですか
(事務局)
今のところ、部数300部ですので、余分は無いんですけれど、どうしても、という方がいらっしゃいましたら、(南部総合)県民局に来ていただいたら、お貸ししたりですね。そういう絵本、製本したものではなくプリントアウトしたものもございますので、そういったものでご覧いただけたらと思っております。電子化ができましたら、そういうこともPRしていきたいと思っています。
(読売新聞社)
ちなみに、県立図書館に置く予定はないんですか。
(事務局)
当然、置くように考えております。むしろこれを機会に、色んなところから、県内はもとより全国からそういう声が出てきていただくことを非常に期待しておりまして、その後の対応につきましては、梅田先生と相談しながら、一人でも多くの方が読んでいただくようなことを考えていきたいと思っております。
(知事)
そのポイントが電子書籍化ってことね。紙媒体だと増し刷りをするとか、手間がものすごくかかるでしょ。だから最初はまず、もの(紙媒体)で、その後、篠原先生やっていただいたように電子書籍化をして、そうすると多くの皆さん方がどんどん読めるということになります。
(梅田俊作氏)
始めからこれは話があったことで、僕は大きく、一千万部とか二千万部なんて言ったもんで。ただ、県の方としてはこれを儲け仕事でやってるんじゃないんで。そうなったら皆さん考えろと言われて、読売さんでも、朝日さんでも構いませんから、お声ください。そのときは著作権も何もみんな含めて丸投げすることができますから。なにしろ、さっき言った国民みんなの問題だからね。ひとりでも多くの方に、それを徳島から発信したということには、こだわっていきたいなと思うんです。
(四国放送)
電子書籍化した場合は、有料のコンテンツとか無料とか、お考えはありますか。
(篠原靖典氏)
今のところ全然、そういう考えはございません。今後どうなるかは、まだ未定ということで。
(事務局)
ちなみに、徳島文理大学の飯原一夫先生が、作られました、「シロのないた海」というのがあるんですけれども、これも防災絵本なんですけれども、そちらについては、篠原先生にデジタル化していただくんですけれども、それはもう無料で提供を今させていただいているという状況です。
(篠原靖典氏)
今現在、ユーチューブの方にアップしております。
(毎日新聞社)
梅田先生に改めて、子ども向けの絵本ということで、主に子どもさんが、読むと思うんですけれども、どういう風に読んで欲しいかというか、子ども達により伝わるように工夫した点とか、苦労した点とか、どういうところを意識して作られたんでしょうか。
(梅田俊作氏)
基本的には、これはたたき台として、家族なり、クラスの中でこういうことを話す。そしてクラスでこれを読んでもらった子どもたちが、家に帰って、体験なさっている方が親戚なり家族にいらっしゃるかもしれない、おじいちゃんとか、おばあちゃんとか、いとことか。基本的にはそういう人たちの本当の話に結びついていくことを考えました。作るにあたって。「こんなことが絵本に書いてあったけど、おじいちゃんどうだったの」とか。だから、実際に生きた人たちにこれが伝わっていって、その人達が発言なさってくれるといいな。それが一番の、作る基本におきました。もう時間もあまりないと思うのね。生き延びた方たちがね。だからできるだけ表に出てきてもらって、紙芝居化の話も、テレビのような視覚化も、みんな、そこのところを掘り起こしたいというんですか、そんな風になると、もっとリアルに自分のこととして考えられるんだろうな。それにはあまり流行に左右されない、絵本の世界というのは、わりと僕は、メディアとしては、一つの方法という気がしているんですけどね。
(毎日新聞社)
これまで作られていた絵本と比べて、大きく変わった点とか、色彩の面とか、表現方法とか、何かありますでしょうか。
(梅田俊作氏)
いえ、あまり自分としては、そこのところは意識しなくて、あまり嫌われない絵にしたいとか、そういうのはありましたけど。ただ、一番苦労したのは、締切でした。今までは、1年、2年、長いのは5、6年延びた締切もあったけれど、今回のはいつ(地震が)来るかわからない締切なもので、今から書こうかな、と思って、晩ご飯を食べ終わったとたんにグラッと来るかもしれない。これ、本気でだんだんそんな気になりまして。そんなに、ある意味で緊張して作り上げたにもかかわらず、もうこうやって出来上がったころには、そういう意識は書いた本人さえ薄らいでいて、風化しているんだよね。それがやっぱりこれからの自分のテーマなんだな、これを作り上げた後の活かし方というんですか。それをどうやって自分にできることに活かしていくかということが、うちの婆さんと爺さんの宿題と思っています。ちなみに、うちの爺さん婆さん(というのは)僕のことです。
(時事通信社)
制作に当たって、実際に現地の方に行かれてお話を聞いたりとお聞きしましたが、そうですか。
(梅田氏)
そうです。浅川町とか、牟岐町とか、何て言ったらいいのかな。取材した後の裏付けのような形っていうのは、僕はほとんどストーリーが出来上がっちゃったもので、大きく間違ったところがないかどうかを、確かめたかったんです。それで、津波から生き延びた方達とか、その人達を2、3人お訪ねして、話を聞かせていただきまして、ほとんど、だから最初に言ったことと重なりますけど。生き延びた人達に一番僕が感じたのは、遊び心があったんだな、生き延びた時にね。真面目にこういう風にしなさい、あーしなさいって、こうマニュアル通りじゃなくて。この場はこうやろ、こうやろっていう。それは、僕は、多分、子ども時代に遊びから身につけることだと思うんです、臨機応変に。一番遊びに夢中になっている時に、危機感とか何もかもみな体にしみ付いてる、そういうものを感じましたんで。この、ここでの遊び、この場面の中で色々見ていただくと分かるけど、秘密の隠れ家があったりとか、ブランコがあったり。多分、この子達は裏山で毎日遊んでいるんだなっていう設定をしたかったんです。それは今度の大震災でも、裏山に逃げれば助かったかもしれないなっていう地域もありましたよね。大勢亡くなっちゃった子ども達の。ああいうものも、僕の意識の中にあったんです。
だから、マニュアルっていうのは100パーセントそのとおりじゃなくて、むしろ僕は、子ども達の持っている感性とか、危機感の方を信じる、信じたいなっていう気があったんです。特に今の子ども達の、その震災のあった後の子ども達の話聞いてると、生き延びた子達っていうのは、やっぱり臨機応変に自分達の、自分の頭で判断を下して、自分で行動してますよね。あれは、非常に僕は参考にさせていただきました。
(幹事社:司会)
その他質問はありますでしょうか。どうも、ありがとうございました。
(知事)
それでは、よろしくお願いします。