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徳島県の概要

位置

本県は、四国の東部に位置し、東は紀伊水道に面し、北は香川県、南は高知県、西は愛媛県に接しています。

地勢

 本県は、山地が多く全面積4,146.99平方キロメートルのおよそ8割を占めています。1,000メートルを越える山も数多くあります。県内の最も高い山は四国山地中の剣山で、標高1,955メートル、四国第2の高山です。その剣山を中心とした剣山地は県を南北に分ける分水嶺で、その北方を流れる吉野川は水源を遠く高知県に発し本県に入って大歩危・小歩危の深い峡谷を作り三好市から東に転じ、東流するにしたがって広く、くさび形の徳島平野をつくっています
 吉野川の北、讃岐山脈は一般に低く、山麓は扇状地が発達し、土地は高く、吉野川下流の低地は勝浦川及び那賀川下流の低地と共に広く水田地帯となっています。分水嶺の南斜面山地は豊富な森林地帯となっており、広い平地は少なく、阿南市以南では山地が直接海にせまった岩石海岸で、東北の砂浜海岸とは著しい対照をなし、海は深く、港湾として適当な地形をもっています。

剣山の写真
剣山
大歩危・小歩危の写真
大歩危・小歩危
吉野川の写真
吉野川
大浜海岸の写真
大浜海岸

沿革

 古代、忌部氏が、吉野川流域を開拓したとき、粟がよく実ったので、この地域を粟の国といい、一方南の勝浦、那賀、海部三郡のあたりを長(なが)の国というようになったと言い伝えられている。大化の改新には、これらの国を併せて阿波の国と呼ぶようになった。

 当時は、現在の徳島市の西の地域に国府が置かれ(現国府町府中)、国司が住み、ここが政治の中心となり、近くに国分寺・国分尼寺も配されて仏教文化が栄えた。

 

 中世、鎌倉時代には、幕府による佐々木氏、小笠原氏(後の三好氏)の守護職任命が行われた。室町時代には、細川氏が勢力を張っていたが、応仁の乱を経て、阿波は三好氏の時代となり、長慶は一時畿内にまで勢力を伸ばした。しかし、やがて衰え、土佐より出た長宗我部元親が四国を征した。長宗我部氏は、全国統一を目指す豊臣秀吉に敗れ、蜂須賀家政が阿波に封ぜられた。蜂須賀氏は、現在の城山一帯に居城を構え、この時以後、徳島城下が政治・文化の中心となった。江戸時代の約300年の間、藍・塩・砂糖・葉たばこの専売によって富を築いた。

 

 阿波と淡路の関係は古くからのもので、淡路の地名は、阿波への道ということによると言い伝えられている。万葉集の巻6の船王の歌「眉の如 雲居に見ゆる 阿波の山 かけて漕ぐ舟 泊知らず」は、徳島の山が歌われたものだと言われている。

 近世も、徳島藩は淡路も領有していた。明治になり、廃藩置県によって、4年に徳島県が置かれたとき、淡路のうち、津名郡を分離した。間もなく名東県と改称したとき、淡路一円も管轄することとなった。次いで明治6年讃岐国を合併したが、同8年には讃岐国が分離されて香川県が再置された。明治9年名東県は廃止され、淡路一円は兵庫県に、残る名東県は高知県に合併され、徳島支庁を置き、同11年徳島出張所となった。明治133月、徳島県は再置されて、今日に至っている。

 

 県下の行政区画についてみると、明治22年に、市町村制が施行され、徳島市ほか、2137村が置かれた。このとき徳島市の人口は60,861人で、これは全国10位であった。

 

 昭和223月に鳴南市(同年5月鳴門市と改称)、同26年小松島市、同33年阿南市、平成1610月に吉野川市、平成173月に美馬市、つるぎ町、那賀町、同4月に、阿波市、平成183月に三好市、東みよし町、阿南市(阿南市、那賀川町、羽ノ浦町が合併)、美波町、海陽町が誕生、現在8151村である。

面積・人口

面積4,146.99平方キロメートル(R5,7,1)
人口695,450人(R5,9,1)
世帯数309,561世帯(R5,9,1)

主な山・川・島

主な山岳剣山1,955.0 メートル
次郎笈1,930.0 メートル
三嶺1,893.6 メートル
一ノ森1,879.6 メートル
主な河川吉野川194 キロメートル
那賀川125 キロメートル
主な島大毛島7.31 平方キロメートル
島田島5.73 平方キロメートル
高島2.63 平方キロメートル
大島1.77 平方キロメートル
伊島1.44 平方キロメートル

気温・降水量

気温(徳島市)

        
平均気温最高気温最低気温
令和4年17.2℃35.3℃-1.2℃
令和3年17.3℃35.3℃-2.9℃
令和2年17.5℃37.7℃-0.4℃
令和元年17.4℃36.1℃0.4℃
平成30年17.1℃37.3℃-3.3℃

降水量(徳島市)

                 
降水量
令和4年1,150.5 ミリメートル
令和3年1,481.5 ミリメートル
令和2年1,644.0 ミリメートル
令和元年1,543.0 ミリメートル
平成30年1,760.0 ミリメートル

各種データ