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阿波おどり

二拍子の楽園 本場・徳島の阿波おどり

400年の歴史を持ち世界にもその名を知られる阿波おどり。その起源については、いろいろな説があります。
盛んに踊られるようになったのは、徳島藩祖・蜂須賀家政が天正14年(1586年)に徳島入りし、藍、塩などで富を蓄積した頃からといわれ、 その後、藍商人が活躍し、年を重ねるごとに阿波おどりを豪華にしていきました。
そこから阿波おどりは市民社会にも定着し、自由な民衆娯楽として花開き、 特に戦後は復興の象徴として目ざましく発展していきました。
このような歴史を経て、阿波おどりは今では日本を代表する伝統芸能として世界にも知られるようになっています。
なお、現在の阿波おどりは、毎年8月9日に開催される「鳴門市阿波おどり」を皮切りに徳島県内各地で開催されますが、最も賑わいを見せるのが毎年8月12日から8月15日の4日間開催される徳島市の阿波おどりです。

阿波おどり

阿波おどりの起源

阿波おどりの起源とされる、3つの説をご紹介します。

築城起源説

天正15(1587)年に蜂須賀家政によって徳島城が落成した際、その祝賀行事として城下の人々が踊ったのが阿波おどりの始まり、とする説です。

風流おどり起源説

阿波おどりの特色である組おどりが、能楽の源流をなすといわれる「風流」の 影響を強く受けているといわれ、寛文3(1663)年の「三好記」 の中には、天正6(1578)年に十河存保が勝瑞城で風流おどりを開催 したという記録に基づいて、これが阿波おどりの原型、とする説です。

盆おどり起源説

阿波おどりが旧暦の7月に行われた盆おどりであるというもの、「俄」「組おどり」といった特殊なものが派生してきたとはいえ、その元は盆おどりである、とする説です。

阿波おどり用語

阿波おどりをもっと楽しんでいただくために、阿波おどりに関する基本的な言葉をご紹介します。
普段聞き慣れない用語もありますので、ぜひ一度ご覧ください。

阿波おどりを踊る団体、グループのことを連と呼びます。
伝統ある有名連や企業連、学生連など多種多様で、総数は1,000を超えています。

ぞめき

阿波おどり特有の二拍子の軽快で陽気なリズム。「騒がしい」との本来の意味もあり、派手に浮かれて賑やかに踊ることを指しています。

よしこの

阿波おどりで唄われる唄。起源や伝来については定かでないところも多いですが、江戸時代後期に流行した民謡で、藍商人が京、大阪方面から阿波に持ち帰ったと言います。

正調

「正しく受け継がれてきた(唄い方などの)調子」のことです。
本来、音階の正しさを指すが、阿波おどり界では正統派、本格派といった広い意味で使われることが多いです。

流し

朝から昼にかけて、三味線などの鳴り物だけで町筋を流して歩くことを言います。踊り抜きの音色だけで“芸”を披露して回るのが定番です。

ヤットサー

踊りの始まりや途中の掛声の一つで「ヤットサー」と声をあげると「あ、ヤット、ヤット」と返すのがお約束。「ひさしぶり、元気だった?」の意味です。

鳴り物

阿波おどりの伴奏をつとめる楽器の数々。三味線をはじめ大太鼓、締太鼓、鉦、笛、鼓などが用いられます。

高張り提灯

長い竹竿の先に連名の入った提灯を二つ付け、連の最先頭を行く人のことです。進むスピードを調整する役目もあり、風のあおりも受けるので相当な体力が必要です。

阿波おどり高張り提灯

鳥追い笠

女踊りの笠はかつてはさまざまな形がありましたが、今では鳥追い笠が主流になっています。鳥追いとは文字通り田畑の害鳥を追うために顔をすっぽり隠す編み笠で、女性が笠を目深にかぶって少し顔を隠し気味にすると、うなじが強調されて優雅で妖艶になります。

阿波おどり鳥追い笠