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徳島の洪水遺産の紹介

徳島県民と水との関わり

 徳島に住む私たちは、昔から常に川と深い関わりのもと暮らしてきました。豊かな森林に覆われた山間地域を源とする吉野川をはじめ、県内を流れる河川の悠久の流れは、母なる大地を潤し、我々に計り知れぬ恩恵をもたらしてくれています。その一方、川は時として荒れ狂うことで人命や財産を奪い、干天は時として川を干上がらせ恵みを閉ざすなど、私たちは自然に対してその無力さを思い知らされてきました。

 このように、奥深い山から海に続く水の流れが、人々の生活や文化に大きく影響を及ぼし、歴史的にも重要な要素となっています。その中の一つに水と人との戦いの歴史を生々しく伝える洪水遺産があります。

 昔からの人と水との関わりが風化しつつある現代においては、県内に数多く残されている洪水遺産を通じて、水との関わりが地域の文化を育んできたことを知るとともに、未来に伝えていく必要があります。

徳島の洪水の歴史

徳島県には、吉野川・那賀川という2本の大きな川があり、それらの上流域では雨が多く、大規模な水害が繰り返されてきました。過去に起こった代表的な水害について紹介します。

  • 1843年(天保14年):七夕水 旧暦7月7日に起こった洪水。勝浦川の堤防が決壊し、徳島市西須賀町で数十日の間冠水。小松島市田浦町で家屋流出数15戸、死者・行方不明者約50人。

 徳島地方気象台で七夕水の調査がされ、被害状況の座標データを見ることができます。

  • 1849年(嘉永2年):酉の水 酉年に起こった洪水。吉野川が氾濫し徳島城下一帯が浸水。旧吉野川の堤防が決壊し、鳴門市大麻町で浸水深約2.1m、吉野川市山川町でも川田堤防決壊により死者250人。
  • 1857年(安政4年):八朔水 旧暦8月1日に起こった洪水。八月朔日(月の最初の日)に起こったためこの名がついた。吉野川が増水。旧吉野川堤防の決壊により鳴門市大麻町で浸水。鈴江堤防の決壊により徳島市川内町で家屋350戸が倒壊。
  • 1866年(慶応2年):寅の水 寅年に起こった洪水。吉野川・那賀川・園瀬川・勝浦川などが氾濫。蜂須賀氏が阿波藩主になって以降もっとも大きな洪水と言われる。阿波国中で3万7020人が溺れたとの記録が残っている。
  • 1911年(明治44年):土佐水 徳島県では小雨であったが、吉野川上流域の高知県で大雨が降ったため起こったことが名前の由来。このような洪水はたびたび起こっており、この時は死者・行方不明者27名を出す大災害となった。
  • 1934年(昭和9年):室戸台風 風台風であったが、徳島県では高潮により2万3158戸が水没し、4272戸が全半壊・流出した。死者・行方不明者39名。
  • 1976年(昭和51年):台風17号 山間部で6日間にわたる大雨が降り続き、洪水が長引く。吉野川では無堤地区の氾濫をはじめ下流部支派川が内水氾濫を起こし、那賀川でも5回に渡り通算45時間警戒水位を上回った。死者10人、家屋全壊・流失187戸、浸水2万155戸。
  • 2004年(平成16年):台風23号 吉野川の岩津地点で流量1万6400m3/sを記録した。県下の広い範囲で浸水被害が発生し、家屋146戸が全半壊、4525戸が浸水した。
  • 2014年(平成26年):台風11号・12号 前線の停滞に加え台風12号と台風11号が相次いで上陸。太平洋側で強い雨が長期間にわたって降り続き、那賀川で戦後最大流量9500m3/sを記録し、県下で2507戸が浸水した。

洪水遺産の紹介

 徳島の人々は、これまでに幾度となく洪水に襲われ、その度に復興し、洪水への備えを高めてきました。徳島では、その苦闘の歴史や先人の知恵等を現在に伝える遺産が残されており、その多くを今でも見ることができます。

  • 高石垣と城構えの家
    • 洪水の被害を受けにくくするため、石垣を高く築き地盤を上げた「高石垣」とその地盤の上に築いたお屋敷がお城に見える「城構えの家」
  • 水防竹林
    • 堤防建設が難しかった時代、洪水被害を軽減するため河岸に整備された「水防竹林」。植えられた竹は、洪水や土石の勢いを和らげる水防の役割だけでなく、肥沃な土砂の供給のほか、傘やかごの材料としての役割も果たしていた
  • 高地蔵
    • 度々洪水に見舞われていたお地蔵様を人びとが申し訳なく思い、水没しないように台座を高くした「高地蔵」
  • 吊り舟(上げ舟)
    • 洪水時には避難や救助などに使用され、普段は屋敷や神社の軒下に吊り下げられている「吊り舟」
  • 掻き寄せ堤
    • 明治時代に連続堤防ができるまで洪水を防いでいた、周辺の土や川砂利を掻き寄せて作られた「掻き寄せ堤」
  • 印石
    • 堤防の高さを上げると対岸や上下流の危険性が高まることから、過去には地域間での争いが絶えなかったため、堤防の高さを定め、争いを防いだ「印石」
  • 蔵珠院の洪水痕跡
    • 阿波藩時代の大洪水「寅の水」(1866年)の洪水痕跡(茶室の壁など)と被害の記録が今も残る「蔵珠院の洪水痕跡」
  • 善入寺島
    • 吉野川第一期改修工事により遊水地化された、全長6kmにも及ぶ吉野川の川中島「善入寺島」。かつては約3000人が住んでおり、今も生活の跡を見ることができる
  • 万代堤
    • 天明8年(1788年)の藩命から、5カ年で完成した本格的な(延長1km・高さ7m)那賀川堤防「万代堤」
  • 古毛の水刎岩
    • 万代堤への水の勢いを弱めようと山の上から落とし入れた大岩「古毛の水刎岩」
  • ガマン堰
    • 那賀川右岸に構築された越流堤「ガマン堰」。洪水の度に「ガマンせい」と慰め合い、補修工事では重労働を我慢したことからこの名がついたと伝えられる