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「南海地震を知る~徳島県の地震・津波碑~」(第34回)-大岩「慶長・宝永地震津波碑」

慶長碑(左)および宝永碑(右)大岩の碑

第34回は、海部郡海陽町鞆浦にある「慶長・宝永地震津波碑」です。
名称:慶長・宝永地震津波碑
場所:海部郡海陽町鞆浦字北町
建立:慶長碑 寛文4年(1664) 宝永碑 不詳
地震:慶長南海地震(1605年2月3日) 宝永地震(1707年10月28日)

海陽町鞆浦漁港近くの大岩に、慶長南海地震(1605年2月3日)(向って左)と宝永地震(1707年10月28日)(同右)の碑文が刻まれています。慶長の碑面には、「南無阿弥陀仏と中央上面に文字が刻まれ、その下に、午後10時に30mの津波が来襲、100余名の犠牲者が出た。」などと刻まれています。一方、宝永の碑面には、「午後2時頃、約3mの津波が3度来襲したが、犠牲者はなかった。」などと刻まれています。この慶長の津波碑は、四国で地震・津波の様子が記された最古の碑です。

『教訓』
地震・津波の様子が記された最古の碑が鞆浦の集落にあることは、この地域の文化の高さを示すもので、先人の誇りを受け継ぎ、徳島県南地域が、日本一津波被害がない地域となるよう努力すべきです。

次回は、海陽町鞆浦の碑を紹介します。

地図

大岩「慶長・宝永地震津波碑」

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