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「南海地震を知る~徳島県の地震・津波碑~」(第35回)-鞆浦「海嘯記」

鞆浦 海嘯記 津波避難施設(鞆浦山地区)

第35回は、海部郡海陽町鞆浦の海部川旧河道沿いにある「海嘯記」です。
名称:海嘯記
場所:海部郡海陽町鞆浦字立岩 海部川旧河道沿い
建立:昭和2年(1927)5月1日
地震:安政南海地震(1854年12月24日)

鞆浦漁港から海部川の旧河道沿いに、安政南海地震(1854年12月24日)時の津波の様相を記した「海嘯記」が建っています。この碑には、「午後4時頃に起きた地震による津波は、多善寺の門前、脇宮まできた。人々はあわてふためき近くの山々へ逃げた。津波は夜半までに4~5回あり、余震は夜明けまでに30~40回も続いた。津波の高さは、他の地域では6~9mにもなったが、鞆浦では3~6mであった。建物被害も少なく、けが人もなかった。」などと刻まれています。

『教訓』
この狭い鞆浦の集落には、慶長、宝永、安政の津波碑が存在します。過去の津波の実態を知り、現在までの地形や土地利用変化も考えながら、被害を最小化する知恵が必要です。避難場所の少ない山下地区には、現在立派な避難所が造られています。

次回は、海陽町宍喰浦の碑を紹介します。

地図

鞆浦「海嘯記」

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