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海が吠えた日 第54回 「大津波を体験して」 七十代 男性

地震の発生は早朝の四時過ぎでまだ真暗であった。私の家族は両親をはじめ五人家族であった。当日は沖に出ていた釣客が早朝浜に帰る予定になっていたので、家族の者は幸い皆起きており、釣客が家を去って半時間くらい経ったころだった。ゴウーとものすごい音と共にガタガタ!!大地震だ。

今にも家が倒れそうだ。あわてて屋外に飛び出した。しかし立っていることもできず、ただ抱き合って土地に座り込んだ。その時父が「早う山に逃げ、津波がくるぞー」と大声で叫んだ。家族や近所の人々は裏山へ逃げ込んだ。父は後を確認しているうちに津波に流され、運よく流れて来た舟にしがみつき九死に一生を得た。津波が込んで来た時のバリバリとあの無気味な音、この音を聞きながら裏山に逃げることが精一ぱいであった。

しばらくして東の空が明るんできた。引潮時に下山して我が家を確認する。家は残っているが中はメチャクチャで付近一帯は瓦礫の山と化していた。浜の入口に立ち沖を見ると引潮時には浜は四~五十メートルも干上がり、舟は至る所に干上がっている。

沖には流失した家屋や家財、浮流物で満杯、東浦沖の一文字防波堤の上には底曳網船が乗り上がっている。そのうちにこみ潮となり見る見るうちに港いっぱいに浸水し、また引き潮とくり返すこと数回、次第に小さくなっていき気持ちも少々落ちついてきた。

山を越えて西浦に出た。西浦地区のうち浜筋、瀬戸川筋、満徳寺下の内港付近は全滅状態だ、小橋の上には機帆船が三隻仲よく乗り上げている。その当時牟岐漁港で完全に残っていたのは東浦沖の一文字防波堤だけだった。

◆「海が吠えた日」は、牟岐町においてまとめられた「南海道地震津波の記録」です。
詳しくは、牟岐町ホームページをご覧ください。

【参考サイト】
牟岐町ホームページ

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